駅・列車内の様子

鉄道もまた女性の職場である。車内乗務員や軌道電車の運転手など、女性の姿はあらゆる場所で見られる。中でも圧巻は平壌駅ひとつ手前の西平壌駅である。二〇〇三年七月三〇日付の労働新聞によれば。この数十年間、西平壌駅は女性だけで運営されているという。(国分隼人『北朝鮮の鉄道事情』)
平壌駅正面でひときわ目立つのが金日成主席の大肖像画である。北朝鮮の駅舎は平壌に限らずほとんどすべてにこの主席肖像画が掲げられており、中朝国境の駅でさえ大きな主席画掲げられ中国側を見つめている。この肖像画は当初は若い時代のものが使用されていたが、主席の死亡後は「太陽像」と呼ばれている壮年時代の笑顔の肖像画に替えられており、徐々にだが地方駅の肖像の交換も行われている。なお駅舎上部のスローガンボード右手には「栄光ある朝鮮労働党万歳!」、左手には「偉大な領導者金正日同志万歳!」である。(同書)
恵山駅では、プラットホームに横たわっている人を見た。よほど強く頭を打ったのか、脳が一部露出してしまって居る。まだ生きていて、震える声でしきりに「死にたくない」と言っていたが、しばらくすると死んでしまった。列車の外側に乗っていたため、駅に入るとき、プラットホームの端で頭を打ったらしい。飢饉の間は同じような事故が当たり前のように起きていた。(イ・ヒョンソ『七つの名前を持つ少女』)
一九九三年の秋。すでにこのころ平壌から北部へ向かう列車は、電力不足のせいで、運航されていたにしてもまばらだった。切符を買えても、旅行者が党の高官でない限り、席に座ることができるチャンスはわずかだった。駅はいつも列車を待つ乗客でいっぱいだった。彼らは暗い構内をうろつき、しゃがみこんで煙草を吸い、列車の到着を待った。列車が着くと猛然と突進し、壊れた窓から身体を押し込み、車両のつなぎ目によじ登った。(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)
どの客車もガラスが割れて一枚もない。その窓に乗客がぎっしり詰まっていた。客車の屋根の上までもが、ビニールシートを体に巻き付けたり、架線で感電しないように腰を弓なりに曲げて座っている人で満員だった。
列車が止まるや、客が乗降ステップにしがみついて、早く乗ろうと叫び声が上がる。互いに押し合いへし合い、他人の頭を踏みつけて乗り込もうと
するものまでいる。(安哲兄弟『秘密カメラが覗いた北朝鮮』)
私たちは、罰金の代わりに、タバコ三箱をこっそり渡して、なんとか列車に乗ることができました。とはいえ電力事情が悪いため、運行する列車は極めて少なく、沙里院から徐興まで行くのに三、四日はかかりました。
人々は、一度列車を逃すと10日は待たなければならないため、命がけで乗ろうと飛びつきます。
座して死ぬも、行動して死ぬも、どちらも同じことでした。実際、列車が到着すると同時に、待合室から一斉に押しかける人並みに踏みつぶされ、命を落とす人も少なくありませんでした。
みんな、列車のドアが開かないので、窓へよじ登って乗り込みます。乗ったら乗ったで、列車の中は立つ場所もないほどのギュウギュウ詰め。
おんぶした赤ん坊が圧死し、その亡骸をリュックサックに入れた瞬間、リュックを強奪され、母親が失神してしまうことがありました。車内は立つ場所がないので屋根に登り、途中で凍死してしまったり、電線に引っかかって死ぬ人もいます。( 夫址栄『祖国を棄てた女』)
四日遅れなら正常、一週間遅れなら普通、十日でも大丈夫と言われるほど列車が遅れる。本来乗客が出入りする乗降口のところには、スリや窃盗団の連中がたむろしていて、そいつらの「専用口」と化している。そこで乗客は仕方なく窓から入ることになる。一部の幹線を除いて、ほとんどの列車には窓ガラスがないので、手を切ったり、顔を切ったりする心配はない。
だが、スムーズに窓から入るには、窓の近く煮る人に金を少し握らせて手伝ってもらう必要がある。(辺真一『証言 餓死か暴発か』)
私たちが乗ることになった汽車は、大きくて超豪華版の寝台車だった。日本の新幹線と同じ幅の広軸。車体は濃い紺色。そのなかに真っ白い太い線が車窓の下を左右に走っていた。
汽車は七、八両編成だったので、ホームに立って車体を眺めると、上品な濃紺と純白の線が見事なコントラストをなしていた。
日本の新幹線食堂車の通路より少し広い、一メートル余りの通路が窓際にあった。一両に十二、三室あり、開閉式のドアがついていた。真ん中に小さな高級テーブルが、そして窓側の小さな棚には感じのいい電気スタンドがおいてあった。
テーブルには万景峰号でおなじみのミネラルウォーター、共和国製の菓子、たばこがきれいに並べられていた。金日成の肖像画はドアの内側の上に掲げられていた。車室は、全体的にシックな茶系統の色で統一されている。(金元祚『凍土の共和国』)
四、五両編成の普通車の車体は、黒に近いグレーだが、ところどころペンキが剥げていた。普通車は満員だった。二十代から六十代までの労働者、事務員らしき人々が多かった。
彼らのほとんどは、列車の車体と似た黒っぽい、それもよれよれの人民服を身に着けていた。カーキ色の軍服に身を包んだ人民軍兵士らしき人も数人見えた。女性はほとんどいなかったが、頭にネッカチーフを巻き付けた老婆が薄汚れたチョゴリを着て座っていた。
レーニン帽をかぶっている人もいたし、たばこを吸っている人もいた。風呂敷、紙包みのようなものを抱えている人は何人かいたが、鞄を持っている者は目につかなかった。(同書)
一番警戒心を必要とするのはトンネルである。北朝鮮では電気事情が悪いためトンネルに入ると真っ暗になり、それを狙ったかのように他人の品物を強奪する輩が後を絶たない。
品物を奪われるばかりか、カミソリなどで切りつけられることも多い。次に警戒を要するには停車駅である。たとえば平壌から新義州に向かう鉄道の場合、順安、粛川、新安州、博川、定州、宣川といった主要駅では長時間停車する。このときを見計らって、三、四人グループの強盗団が襲って来ることも日常茶飯事だ。
手段は、グループを組んで、すし詰めの列車内に乗りこみ、そこらあたりの荷物を手当たり次第に車外に放り投げ奪ってしまうという荒っぽいもの。こんなことができるのも北朝鮮の駅や列車は人でごったげしているからだ。北朝鮮では、幹線で通常なら四時間で行く平壌――新義州にしても一時間、二時間遅れは当たり前。その他となれば五、六時間遅れたり、運行しないこともあった。(辺真一『北朝鮮亡命730日ドキュメント』)