車事情・交通事情

共和国の車は、日本と逆の右側通行。(金元祚『凍土の共和国』)

北朝鮮では木炭車が走っており、空気や未舗装の道路が炭で黒くなる。

さてその新安州は、炭鉱で有名な安州に付属してつくられた町で、主に安州に通う人々の住む町になっている。町に入る直前、真昼間だというのに薄暗くなっていた。どうしたのかと思ったら、前を走っていたトラックの排気ガスのせいだった。そのトラックは戦時中日本でも見かけた木炭車で、真っ暗な排気ガスを撒き散らしながら走っていたのである。(張明秀『裏切られた楽土』)
しばらく車で走り、兄の家の近くまで来て、路地に入ったところで車から降りて家に入ったが、車に停めたところから家の前まで白い砂が敷きつめてあった。北朝鮮では未舗装の道は無煙炭などで黒っぽいが、それをわざわざ新しい砂を敷いての歓迎である。(同書)

北朝鮮では車を個人所有できず、乗用車はみんな高官が乗っている。

車の個人所有は、誰もが買えるものではないという以前に、基本的に違法である。(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)
北では乗用車はみんな党か省(政務院)機関の高官が乗っていたので、学生時代は通り過ぎる乗用車に向かってひたすらお辞儀をした。(金賢姫『いま、女として』)

また北朝鮮では信号がなく、代わりに交通安全員と呼ばれる交通整理員が立っている。

交通安全員は水色の制服で、腰に拳銃をぶら下げ、両手に三十センチほどの紅白の横縞模様の棒を持って、カクッカクッと交通整理をしている。(薩摩剣八郎『ゴジラが見た北朝鮮』)
北朝鮮では長距離用の貨物自動車はほとんどが軍の車両である。そうでなければ社会安全部の外貨稼ぎ機関のもので、企業所や共同農場などの生産部門には置かれていなかった。というのは、ガソリンがないので、生産部門の自動車は代用燃料(木炭、トウモロコシの芯、石炭)用に改造されており、長距離はとても走れなかったのである。(安哲兄弟『秘密カメラが覗いた北朝鮮』)
私がいる郡所在地から駅までは三十二キロというが、バスは午前と午後にそれぞれ二回しかなかった。バスの停留所にはすでに大勢の人が集まっていた。それぞれ荷物を抱えたり、背負ったりしている田舎の人々、そのあいだに出張員や人民軍も混じっていた。人々がわれ先に乗ろうとしたが、バスの運転手はドアも開けてくれず、あちこちバスをぐるぐつまわしながら、集まった人たちを散らばらせていた。人々がたじろいでうしろに避けると、やっと戸を開け、軍、党幹部、保衛員、安全員を先に乗せるのであった。(姜哲煥、安赫『北朝鮮脱出』下 p.34)
木製の荷車の車輪に鉄の輪を嵌め、雄牛にひかせたものは、交通手段の代わりを務めることもあった。エンジン付きの乗り物はあまりなく、町中合わせても、炭鉱で使われているトラクターが五台、党幹部が使う軍用ジープが二台あるだけだった。
トラクターは燃料不足でたいてい動かなかったが、ジープのほうはガス発生器がついていて、ガソリン代わりに石炭を燃料にしていた。時々、ベンツを見かけることがあった。特権階級がクラス首都平壌から来た、党や軍の上層部の車だった。
隠城では、金持ちは自転車に乗っていたが、ほとんどの人は歩いていた。北朝鮮では四十キロ歩いても不平を言ったりしない。移動する用事には事欠かず、その最たるものが闇市だった。
安いところで買っては、高いところで売りさばくのだ。その品物はすべて人間が背負っていく。たとえ車があったとしても燃料がないからだ。鉄道でさえほとんど走っていなかった。隠城から平壌までを結ぶ列車は二週間町で、しかも片道三日かかった。時速五キロにもならない。
その上、闇市で商売する人の多くが、取り締まりに合う危険を避けて、鉄道を使わなかった。幹線道路を行くよりも、薄緑色の制服を着た警察官に出会う確率が低いので、線路沿いを歩いていく。北朝鮮で居住地域外へ出るのに欠かせない旅行許可証を多くの人は持っていないからだ。発行担当の役人に袖の下を渡さない限り、許可証はほとんど手に入らなかった。(カン・ヒョク『北朝鮮の子供たち』)