チャンマダンについて

チャンマダンとは北朝鮮の闇市である。以下はチャンマダンの数や規模について。

開城市には、もともと小規模なチャンマダンがあって農産物が取引されていた。今は、それが広さで三、四倍になった。人通りの多い道端などに新しいチャンマダンが四、五か所できた。一九九五年から兆候はあった。しかし、こんなに増えたのは九六年に入ってからだ。(朝日新聞アエラ編集部『北朝鮮からの亡命者』)
各郡ごとに一~三箇所ある。地方のチャンマダンの規模は千平方メートル程度。平壌の新成チャンマダンや平城チャンマダンは一日かけても回りきれないほど大規模。(金起成『ボクが捨てた「北朝鮮」生活入門』)

以下はチャンマダンへの移動手段について。北朝鮮の人々は自由に移動することができない。居住地域外に出るには許可証が必要である。

移動する用事には事欠かず、その最たるものが闇市だった。安いところで買っては、高いところで売りさばくのだ。その品物はすべて人間が背負っていく。
たとえ車があったとしても燃料がないからだ。鉄道でさえほとんど走っていなかった。隠城から平壌までを結ぶ列車は二週間町で、しかも片道三日かかった。
時速五キロにもならない。その上、闇市で商売する人の多くが、取り締まりに合う危険を避けて、鉄道を使わなかった。幹線道路を行くよりも、薄緑色の制服を着た警察官に出会う確率が低いので、線路沿いを歩いていく。北朝鮮で居住地域外へ出るのに欠かせない旅行許可証を多くの人は持っていないからだ。
発行担当の役人に袖の下を渡さない限り、許可証はほとんど手に入らなかった。(カン・ヒョク『北朝鮮の子供たち』)

1993年生まれの脱北者パク・ヨンミによれば、彼女たちの世代は「チャンマダン世代」と呼ばれているという。

私くらいの年代以下の北朝鮮人は、「チャンマダン世代」と呼ばれることがある。市場でものを売り買いするのが当たり前の時代に育ち、国からの配給が在った時代を知らないからだ(パク・ヨンミ『生きるための選択』)

チャンマダンでは品物だけではなく売春も行われているという。

松新洞の農民市場にはものが多いだけでなく、処女や寡婦も多いというところだった。当局がこのような市場を開設する理由は、配給では不足している物量を市場機能を通して供給するためだった。しかし、いろいろ変わった取引があるということだ。
不法に出てくる各種の品物と、工場や企業所から盗まれて出回って来る品物、また販売所の要因がこっそり引き抜いて隠し売る品物など、すべてのものが集まる。密輸品、外貨取引まで行われるという。面白いのは、三十代、四十代の女性がそこでも闇で身体を売る場合があるということだ。
以前、定州の行商の女性がそうだったように、そこでは密かに売春がなされているが、かなり年を喰った寡婦が多いと言った。「オジサン、いい品物があるんだけどみますか? とてもみずみずしい生貝があるのよ」(チャン・キホン『北朝鮮 普通の人々』)

チャンマダンではコッチェビと呼ばれる浮浪児たちが食べ物を手に入れるためたむろしている。

三~四歳から中高生ぐらいまでの子供たちが、真っ黒に汚れた服をまとい、食べ物を売る一角にたむろしている。大人が食べている茹でガニの足が地面に落ちると、それにおそるおそる手を伸ばすのだが、大人もそれは譲らない。大人が食べ終わるのを待ち、食べかすの甲羅や足の殻が放り捨てられると、子供たちは先を争ってそれに群がるのか。
一瞬の隙をついて、一人の男の子が中年女性が路上にタライを置いて売っていた飴をくすねるのに成功した。売り手の女性は大声をあげて子供を罵り手を振り上げる。しかしその男の子はビンタを食らっても、戦利品を決して口から吐き出そうとはしない。(石丸次郎『北のサラムたち』)