農民

以下は北朝鮮の農民や農地についての描写である。

一人の農夫と会ったが、年老いたその男は、身に着けている衣服と言えば継ぎ接ぎだらけ。整地されてない、荒れ果てた雑草が伸び放題の田園や畑。小川の辺に繋がれ、草を食む痩せこけた牛。(張明秀『裏切られた楽土』)

以下は農村で子供時代を過ごした人の述懐。

「故郷では牛を世話するのは子供の仕事だった。父親に言いつけられた牛に草を食べさせたり、水を飲ませに野原や河原によく連れて行った。牛の世話は退屈なので、牛の背中にまたがったり、寝そべっている牛にふざけたりして遊んだものだ。
ある日、私は牛を放したまま遊びすぎて牛がどこへ行ってしまったのか、見失ってしまった。普通、牛は見失っても夜になれば帰って来るのに、その日に限って戻ってこない。牛にもしものことがあれば大変だ。
父親は大慌て。泣きべそをかいている私をしり目に、村中の大人を動員、明かりを掲げて牛探しに大わらわだ」
「それに、牛は人間に忠実だ。犬も教えれば忠誠を尽くすが、牛ほどではない。犬はどのように教えても、虎が来れば人間を置いて逃げる。だが牛は虎をやっつけるまで頑張るし、その力もある。
牛は、農村の暗闇の夜道を歩くときも、人間にとって大事な動物だ。牛を連れて歩くと、狼も人間を襲うことができない。物音一つしない、真っ暗闇の夜道、首輪の下に鈴をぶら下げた牛を連れて静かなだけに、その音が周囲にひときわよく響く。
ところがある瞬間、このカラン、コロンという鈴の音がぴたりと止まる。狼が近くに出没しているという合図だ。牛は首をフルのをやめて、人間に狼が出た、注意せよ、という信号を送るのだ。
牛はだいたい、オス、メスの一対で行動する。隙を窺って攻撃しようとするが、牛がいるとどうにもならず、退散さざるをえなくなる。だから、人間は牛の手綱さえ握っておれば大丈夫なんだ」
牛は人間に忠誠を尽くす代わりに裏切りに対しては猛然と抵抗する。それまでの従順さを一変させて凶暴性を発揮する。たとえば、狼が現れるや、手綱を握っていた人間が慌ててひとりだけ逃げて帰ったような場合だ。
「そのような時、牛は家に戻るや否やあたりかまわず暴れ回り、牛小屋ばかりか、納屋などもその力強い角でひっかきまわし、滅茶苦茶にしてしまう。こうなると、牛は人間の手には負えない」(金元祚『凍土の共和国』)

以下は北朝鮮の農場について。

咸鏡南道の首興協同農場の本部で、農場のある村の行政区域「里」の党組織の書記と農場の理事長に迎えられた。
首興の農地面積は四百五十町歩。このうち稲田が三百十町歩、果樹園は九十町歩。灌漑施設のない乾燥盆地が五十町歩。
従業員は管理・技術部門の職員もふくめて九百六十五人。協同組合が所有する家屋が二百四十四軒。農場ができたのは農村住民の協同農場化が進められた一九五八年。
金書記の説明によれば、一九八九年には一町歩あたり米が平均八・一トン、とうもろこしが七・九トンという記録的な収穫が達成された。果物は一町歩でニ十トン獲れたという。主にりんご、梨、桃である。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)