三大革命小組

七三年に三大革命小組と呼ばれる労働者たちへの監視組織が出来る。以下はその概要。

思想、技術、文化の革命を実施するため、一九七三年、金正日によって組織された。中国の文化大革命の紅衛兵を真似たといわれ、忠誠心の熱い青年が動員され、全国の労働現場で大きな権限を持ち、老年の幹部たちを監視。命令を達成できないと吊し上げた。八〇年代からは記念碑的建造物の建設指導を進め、金正日の忠実な部下として要職を占めていった。
(朝日新聞アエラ編集部『北朝鮮からの亡命者』)
一九七三年頃から、北朝鮮では人間の精神(思想・技術・文化)を改革しようという『三大革命』が始まった。そして復興著しい韓国に対抗するために、忠誠心の熱い青年・学生活動家を組織して『三大革命小組』を作り上げ、全国の工場、農場などに十~三十人単位で派遣、生産計画を達成させるとともに、思想革命を実践させようとした。
『三大革命小組』は、金日成・金正日の直属とされ、それをバックに、次第に党組織より強い権限を振るうようになっていった。
そのため、経験を積んだ幹部が影を潜め、思慮に欠け実務経験の浅い『三大革命小組』が台頭、『全社会を主体思想で一色化しよう』『主体革命偉業を継承完成させよう』『生産も学生も生活も抗日遊撃隊式に』『思想も技術も文化も主体の要求通りに』などといったスローガンのもとで、経済全体が混乱していくことになった。ちなみに『三大革命小組』は、中国の近衛兵運動を真似たものと言われている。(夫址栄『祖国を棄てた女』)
企業所の全従業員が参加する大衆運動の最も重要なものは「三大革命赤旗獲得運動」である。中央から派遣される約五十人からなる三大革命小組が企業所のこの運動を直接指導する。
事実上、金正日の親衛隊で、金正日の指示を実行させ、地方党組織並びに行政機関の活動がこの指示に合致しているかどうかを確認するのが、この青年親衛隊の役目である。
このグループの大半のメンバーは、金日成総合大学や平壌の金策記念工科大学の卒業生である。
小組の指導者は党委員会のメンバーではないが、その会議に出席する権利や、企業所の三大革命実現に関わる問題に関して、地方党委員会の、あるいは党中央委員会の各部局に直接指示を仰ぐ権限を持っている。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)

三大革命小組員だった脱北者の金光旭は以下のように証言している。

北朝鮮を脱出するまでの二年間、小組員として、ラムジョン炭鉱、平城市の機動芸術宣伝部、价川市の炭鉱探査設備付属用品工場といった労働現場に、それぞれ半年ずつ送りこまれた。それぞれの配属先では、寝室は二人一部屋、事務室は個室を与えられた。僕の役目は、一人でだいたい三百人の労働者の動きを監視し、政権に対する誹謗中傷や、幹部や労働者の非理があれば上司に報告することだった。下っ端の労働者から工場支配人に至るまで、あらゆる労働者が僕の監視対象であり、中には父ぐらいの年齢の人もいた。
(朝日新聞アエラ編集部、前掲書)

以下の証言から三大革命小組の活動の実態がよくわかる。

C市の農業研究所の近くの共同農場に三大革命小組がやってきて、現場の意向を無視して高い目標を押し付けた。その目標を達成するため荒れた土地の整地、耕地作業が行われた。
この作業には、農民や近くの学校の生徒や学生も動員されたが、数台のトラクター、トラックも使われ、昼夜兼行で行われた。だが共和国製トラクター、トラックは性能が悪い。
少し古くなると、エンジンをかけるのに普通二、三十分かかる。だから運転手は昼休みなど球形の時もエンジンをかけっ放しにする。
三大革命小組員は「燃料の浪費だ、国家財産の無駄遣いだ!」と、運転手を批判する。運転手は少しは抗弁するが、逆らい続けると「保守主義者、経験主義者」などのレッテルを張りつけられ、吊し上げられ、下手をすると追放されることがわかっているので、三大革命小組のいうとおりに従う。
しかし、エンジンを止めるたびに、始動させるのに二、三十分もかけるので、実質的に車の用をなさない。それにもかかわらず、三大革命小組員は「燃料の浪費は犯罪だ」とゆずらない。しかも長時間かけてエンジンをかけたり、止めたりしているうちに、トラクター一台を残し、みな動かなくなった。
こうなると、あとは労働力を酷使するしかない。三大革命小組はやたらと会議や決起集会を開き、整地や耕地作業の“超過達成”を決議させ、朝早くから夜遅くまで農民や生徒、学生の尻を叩く。しかし手抜きをするので、彼らは土地に鍬や鋤を入れても、深く入れようとしない。
形だけの田や畑が出来上がっても作物は良く実らない。このような悪循環を繰り返すだけだが、それでもかれらは三大革命小組運動の成果として、水増しの統計数字を用いて、上部にはいつでも高い生産目標の“超過達成”だけを報告する。(『凍土の共和国』)
三大革命小組は、労働を忌避したという罪をかぶせて南朝鮮出身の研究員を追放した。だが彼は人の嫌がることを黙々と率先してするタイプの人だった。
三大革命小組は、みんなが非能率的な労働に加わるのを嫌がるので、公開批判集会を開いて引き締めを図ろうとした。研究所の責任者と一緒に『保守主義者』『修正主義者』と批判され、その直後に追放された。
研究所の責任者は「私は関係ない! 無実だ!」と必死に叫んで抗議したのに、彼は自分の立場を釈明せず、同僚から「保守主義者だ! 経験主義者だ! 南朝鮮出身のやつらは性根がなおっていない」このようなことが各地の工場や農場でも起きた。
ある農場に派遣された三大革命小組はある日、農場の初級党書記、支配人、技術者たちをやっつける公開批判集会を開いた。罪状は、三大革命の推進を妨害したというものだ。批判集会の際、そこに所属する農場員のすべてが動員され、あらかじめ決められたスケジュールに基づいて公開的な批判が展開される。
三大革命小組員は「この者たちが三大革命の遂行を妨害した。資材や機材を浪費した。保守的で、自分の狭い経験に頑迷にしがみついているため、三大革命運動の革命性を理解できなかった」この罪状に従ってあらかじめ決められた“さくら”の賛成討論が行われた。
賛成討論者のすべてが罪状を支持し、それに輪をかけたような犯罪告発をするが、そのなかにはこのようなものも少なくない。
「私は◯○が農場の倉庫から穀物を盗んで家に持って行くのを見た。彼は断固処断されるべきだ!」
公開批判がひと段落すると、トラックに載せられてどこかへ連れて行かれた。(同書)

三大革命小組員について以下のような証言もある。

三大革命小組の多くは自分の上に「忠誠」とか「革命的義理」という刺青を彫っている。また自分たちだけに通じる首飾りをぶらさげていて、その先端に三大革命小組の証、証明書のようなものを入れている。首飾りは麻などの紐で吊るされた木製のロケットのことだった。そのなかに三大革命小組員であることを示す小さな紙切れを入れている。(同書)