労働事情

北朝鮮の人々は度々大規模な労働に動員される。

金日成万歳と「栄光ある党」の垂れ幕に次いでもっともいきわたっているのは「戦場」の立て看板である。工場でも、事業所でも、稲田でも、建設現場でも、人々は働いているのではなく「戦っている」のだ。八十年代の半ば、全経済が順川、安州など五つの戦線に分けられた。咸鏡北道の道都にある清津火力発電所を訪れたときにきいたことあが、運輸・通信、発電・採掘工業は戦時体制にあるとのことだった。炭鉱では班の代わりに小隊や中隊がある。この国の労働者は「二百日戦闘」とか「速度戦」、「八十年代速度」運動と言った、さまざまな思い付きの運動に参加を余儀なくさせられている。だいたいが経済的根拠はなく、金日成、金正日の誕生日や「記念日」に合わせて計画されたものだ。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)

北朝鮮では職場を欠勤するとどうなるか。

工場、企業所の労働者たちが理由なく欠勤する場合には、賃金と食料供給を差し引き、経済的な不利益が与えられる。病院で入院治療を受ける場合も診断書を添付しないと賃金と食料が支給されないよう統制される。工場、企業所、行政機関などでは、理由なく出勤しない人が出ると、家庭訪問して確認する。(尹大日『北朝鮮・国家安全保衛部』)

政治犯収容所は一度入ってしまったら二度と出られないと思われているが、そうではない。出所した者はどのような仕事に就くのか。15号管理所から出所してきた安赫は、以下のように証言している。

グワイルに戻ってきた私は、みずから進んで糧政事業所の上下車工(米俵を車に乗せたり降ろしたりする作業をする人)に入りたいと申し出た。
糧政事業所の上下車工は誰もが嫌がる仕事であった。しかし、私がありつける職と言えばこれぐらいであった。糧政事業所の仕事は、朝六時に始まって、夕方七時になってやっと終わった。お昼の時間にしばらく休むのを除いては、休む暇がなかった。一日中、重い米俵を腰の上にのせて移すのであるが、ややもすれば電気が切れて、コンベアのベルトが回らなくなり、人間がその役までもしなければならなかった。埃がいっぱい立つので、数時間たつと頭の上はもちろん鼻のてっぺん、睫毛の上にまで、白い粉が積もってしまう。そこで働く人々は、みな喉を痛めぜいぜいあえいでいた。(姜哲煥、安赫 『北朝鮮脱出』)