対南工作

八十年代に行った対南事業のうち、北朝鮮の犯した最大の誤算は、南朝鮮へ水害の救援物資を送ったことである。南へ送り込まれた諜報員たちは、口をそろえて全斗煥政権はこの救援物資を決して受け取らないはずだ、と報告していたからだ。ところが、南はこの救援物資を受け取ると言った。それで北は各種の物資をかき集めるのに四苦八苦した。その結果、対南工作を総指揮していた金仲麟はその職責を解かれ、またもや六か月間も農場で労働をさせられる屈辱を味わったのである。(同書)

北朝鮮で対南工作を担当しているのは三号庁舎である。金仲麟は80年代当時の対南工作を統括していた人物である。金仲麟はこれ以前にラングーン事件でも失敗している。
また、金仲麟は1980年に起きた光州民主化運動の際、南への潜入工作を指揮していた。

南朝鮮に送り込んだ諜報網を通じて、光州民主化運動の消息が伝えられると、金仲麟(キムチュンイン)は三号庁舎のすべての部署に非常令を下した。金仲麟は当時、対南工作を統括する対南担当秘書であった。光州(クァンジュ)民主化運動が勃発した直後、五、六日経ってから、ようやく金日成と金正日に、最終的な情勢判断の報告書を提出した。
この報告書は、「光州事件の本質は、労働者、農民、都市小市民、良心的なインテリ階級と、買弁資本家を後ろ盾にした軍部勢力間の衝突」だと定義し、「よって両者間の葛藤関係を増幅させた場合、これは共和国に有利な局面が展開される」だろうと断じた。また彼は「暴動が光州に限られているのが問題」だとしながら、「もしわれわれが、暴動を南朝鮮全域に拡散させれば、対南事業に決定的なチャンスがおとずれるだろう」と結んだ。
対南連絡部六課の指導員であるイム・マンボクによると、事態が勃発すると金仲麟はすべての対南諜報員たちに非常待機令を発した。だが、三号庁舎直属の清津戦闘連絡所(別名一二一号連絡所)が、上部より対南潜入の命令を受け取ったのは、なんと二十六日のことだった。北朝鮮最大の対南連絡所である清津連絡所には、専門の工作員だけでも千二百名いる。
命令を受けた数十名の精鋭工作員たちは、南朝鮮への潜入に備えて快速艇を準備した。この快速艇は、日本製のボートに戦車のエンジンを取り付けたもので、最大速度が六十ノットにもなる。ところが、遺書までしたため、快速艇に武器を積み込んでいる工作員たちに、突如出撃中止の命令が下りた。金仲麟が対応の時期を逃したのは事実だが、それよりも戒厳軍の光州道庁の鎮圧が、北朝鮮が予想したより速かったと見るのが正しいだろう。
光州民主化運動が起きると、当時の統一戦線部の第一副部長であった李東浩の息子である李和燮何週間も不眠不休で光州民主化運動をサポートするために対南工作宣伝ビラを作って散布したりしたのである。当時彼は、三号庁舎直属の一○一号連絡所の指導員だった。一○一号連絡所は対南工作用の宣伝ビラはもちろんのこと、偽ドルを含む印刷物一切を印刷しているところである。(同書)

以下の証言によれば、北朝鮮の対南工作には、ダムを決壊させてソウルを水没させるという計画まであったらしい。

八十五年の春。人民武力部では重大な会議が開かれていた。この日参席したのは金日成・金正日の親子と、呉克烈(オ・クンニョル)、呉振宇(オ・ジヌ)ら北朝鮮の最高首脳陣だった。呉克烈によれば、金剛山ダムを決壊させると、ソウルはすっぽりと水中に没してしまうという。もちろん北朝鮮も金剛山ダムひとつだけでソウルを水没させることはできないと承知していた。土木工学的に計算すると、金剛山ダムだけでソウルを水没させるには、水位が七メートルから十メートルほど不足している。
そこで着手したのが安辺(アンビョン)二十里水路工事である。江原道(カンウォンド)安辺には、東海(トンヘ/日本海)へそそぐ川がある。金剛山ダムとはおおよそ二十里(約八キロ)ほどの距離になる。そこで北朝鮮がソウルを水攻めにするために、この川の流路を金剛山ダムに引き込むことにした。最初は一個師団が動員された。だが、八十五年に着工した水路工事の進捗はあまりはかばかしくなかった。そこで金正日は、沙里院カリ肥料工場建設に動員されていた二個工兵師団を金剛山ダム建設工事に投入した。当時、この工事を総指揮した人物は、第一集団軍副司令官であるイム・ウンソク将軍だった。彼は現在、平壌衛戍司令官である。(同書)

ダムを決壊させるような大規模なものだけでなく、北朝鮮の対南工作活動は心理戦用のプロパガンダ音楽の作成にまで及んでいる。

北にもカセット・テープがあるにはある。大まかにいって二種類だ。一つが普天堡電子楽団が制作したテープで、「口笛」や「愛の微笑み」などの歌や、映画の主題歌を電子オルガンで演奏したものである。オーソドックスなものだがあまり人気がない。
もうひとつが、チルポサン電子楽団が作ったテープだ。だが、このテープは、対南工作を担当している三号庁舎が制作した特殊なテープで、北の住民たちのために作ったものではない。
休戦ラインなどで、南の兵士の越北を促すための対南心理戦用に作ったテープだ。だから、曲はことごとく南朝鮮のもので、歌詞だけを金日成と北朝鮮を讃える歌にすり替えたにすぎない。従って、普天堡テープよりははるかに好いのだが、たやすくは手に入らない。こうなると、南朝鮮のテープの人気はますます上がる一方である。だから、北のエリートたちは競って南のテープをほしがるのである。南朝鮮のテープを聞いているところを、社会安全員(警察)に摘発された事例も無数にある。(康明道『北朝鮮の最高機密』)