ラングーン事件の内幕

全斗煥大統領は八十二年八月に、アフリカ四ヵ国(ケニア、ナイジェリア、ガボン、セネガル)の歴訪に旅立った。北が長いあいだ外交の外交の拠点としてきたアフリカを、南側に引き込もうという戦略だった。金正日は、北朝鮮外交の内庭と思っていたアフリカを全大統領に荒らされるのが我慢ならず、三号庁舎の金仲麟に、「全斗煥を除去せよ」と指示を下した。
金仲麟、清津戦闘連絡所から選りすぐった四人の精鋭を外交官パスポートを持たせてアフリカへ送った。当初の計画では、全大統領が空港に下りて大統領宮へ向かう中間地点で待ち伏せ、狙撃することになっていた。
だが折悪く、その朝工作員を乗せて狙撃地点へ向かっていた乗用車が、なんと運転を誤って崖の下に転落したのである。車に乗っていた工作員たちは、腕や足を折るなどの負傷を負って、予定していた作戦を遂行することができなかった。それに、本部から「作戦を中止して即刻帰還せよ」という内容の緊急電文も届いた。
金日成は、アフリカへ暗殺団を送り出したあと、外交ルートを通じて、この事実をソ連にそれとなく通告した。ところが、当時ソ連共産党の書記長だったブレジネフが、全斗煥暗殺は本格的な米ソ対立に発展しかねないと判断し、平壌に対して「暗殺作戦中止」を緊急に要請してきたのである。しかし、八十二年十一月、ソ連共産党書記長として登場したアンドロポフは、前任のブレジネフとは違って力を背景として米ソ対決の政策を推し進めた。まず、東ドイツ、ポーランドをはじめとする東欧圏に、大陸間弾道弾であるSSミサイルを追加配備した。
また、アメリカが核兵器を縮小しない場合、ソ連は原子力潜水艦を増強すると脅かした。その年の十一月十二日、アンドロポフが行った就任演説の骨子は、「平和はひとえに、ソ連の無敵の力によってのみ維持される」という好戦的なものだった。金日成はアンドロポフ就任に祝電を送った。それに応えるように、アンドロポフは八十二年末に、金日成に秘密電報を送ってきた。「もし、朝鮮半島に戦争が起きたら、ソ連は積極的に支援する」これに勇気を得た金日成は、第二の朝鮮戦争を仕掛けようとしたのかもしれない。
アンドロポフの指示は、結局アウンサン廟事件という形で現れた。当時、アンドロポフと金日成は、東南アジアを歴訪している全斗煥大統領をビルマのアウンサン廟で除去、南朝鮮人民が立ち上がるか、南の軍部が挑発してきたら、一気に南へ攻め入るという算段だった。現地に先乗りしていた工作員たちは、アウンサン廟の建物の天井に新型爆弾であるクレイモアを仕掛けておいた。
全大統領がセレモニーの会場に現れたら遠隔操作で爆破し、全大統領を殺害しようという計画だったのである。ところが、全大統領が予定の時刻より早く現れた。遠くから見ると、すでに背丈が高く堂々とした男が到着していた。それは李範錫(イボムソク)外務部長官(外相)だった。工作員たちは、彼がてっきり全斗煥だと思った。工作員たちが錯覚した原因はまだあった。会場の横に整列していたビルマ川の軍楽隊が、突然セレモニー開始のファンファーレを奏でだしたのである。堂々とした男の出現とセレモニー開始のファンファーレ。
工作員たちのキャップは、これ以上待つ必要がないと思った。彼はリモート・コントロールのボタンを力強く押した。彼らが殺したのは全斗煥ではなく、閣僚など十七人だった。
アウンサン廟での暗殺失敗で、対南工作の総責任者だった金仲麟は、即刻三号庁舎から追われた。二度に渡る暗殺計画の失敗で怒り心頭に発した金正日は金仲麟を党中央の農場に送った。
「お前みたいなやつは糞でも汲んでおれ」と言って。
金仲麟は一年ものあいだ、肥桶を担ぐ屈辱を味わわされた。だが、その後金仲麟は、農場で百姓仕事をしながら金正日に七トンものトウモロコシを送った。金正日は「金仲麟同志はそれでも忠誠心だけは捨てていない」と至極ご満悦だった。その後金仲麟は徐々に平壌の政治舞台に復帰することができた。(康明道『北朝鮮の最高機密』)