南北統一

金日成は南北統一後の国家について次のような構想をしている。

統一後の国家機構についていえば、北朝鮮は連邦国家の設立を一貫して主張していた。この構想は一九六〇念に平壌がはじめてうちだし、一九八〇年の第六回労働党大会で発展的に承認されたもので、金日成の指摘によれば、「祖国統一の達成に当たっては、南北のイデオロギー、体制の相互承認を原則に、連邦共和国の創設を提案する。さらに単一政府を形成、対等原則による南北代表を閣僚として、南北のイデオロギー・体制の相互承認を原則に、単一政府の指導のもと、同等の権利義務を持つ南北は、各個に地方自治制を設ける」ことになる。
一九八九年『労働新聞』はこの構想を説明して、この提案は「北と南の両国は独立国家としてではなく、単一国家の二つの地域と見なされ、地域政府は完全な権利を持つ独立政府としてではなく、単一民族政府の指導の下に必要な自主性を持つ自治体の地方機関とみなされる」
北朝鮮が新国家の名称として提案する「高麗民主連邦共和国」は、中立、非同盟国家となり、南北両国は第三国との軍事同盟を拒否し、両国を「統合した」国民軍を創設、連邦政府の指揮下に置かれるとされた。(『私が見た金王朝』)
一九八九年三月二十六日には、平壌のプロテスタント鳳水(ボンス)教会の丸天井の下で、復活祭の礼拝式に先立ち、嵐のような拍手が鳴り響いた。北朝鮮クリスチャン同盟の指導者たちと信徒およそ二百人が、韓国の全国民族民主連合(全民連)の精神的リーダーのひとり文益煥(ムンイクファン)牧師を歓迎する拍手だった。文牧師の平壌入りは金日成の提案によるもので、これより先、金日成は年頭教示のなかで、韓国与野党党首ならびに文牧師ら、韓国民主勢力代表者に対して、南北統一問題を話し合う両国指導者による政治協商会議に参加するよう平壌入りを進めていた。
鳳水教会の主祭で、米国教会国民会議の指導者の一人、在外僑胞のリ・スンマン牧師が説教に立ち、この地に確固たる平和が訪れ、同胞への愛と和解が民族の合意と統一を達成し、朝鮮戦争で離散した家族が再開できるようにと期待を述べた。ちなみに一九九一年秋、リ牧師は米国教会会議総裁に就任、教会の線で北朝鮮とアメリカの接触は最高レベルで確立されたといえる。
二時間近く続いた礼拝のあと、熱烈な拍手に迎えられて文益煥牧師が登壇、南の若者や勤労者の言動は祖国の統一に向けられている、今日の祭日は復活のための自己犠牲を想起させると述べ、参会者に南北統一の大義への献身を呼びけた。
文牧師は私との短い対談のなかで、今回の北朝鮮訪問は韓国当局に無断で行われたもので、ひとえに祖国統一を促進させたい熱意に動かされてのことだと強調していた。
在米僑胞牧師の文デヨン氏も説教に立った。文牧師は私とのインタビューで、このことが一九四五年、在米享保の聖職者代表団が北朝鮮を訪れて以来はじめてであることを強調し、つぎのように述べた。
「僑胞のクリスチャンにとって平壌は東洋のイェルサレムみたいなものだった。平壌はこの国でキリスト教の教会や信者がもっとも多いところだったが、朝鮮戦争のとき教会の建物は廃墟と化した。現在我々はこの聖地を再び訪れ、(メイフラワー号でアメリカに渡った)ピルグリムのような気持である。在米僑胞クリスチャンは、南北分断と朝鮮戦争で離別した肉親たちの接触を確立する架橋の役割を果たし、祖国統一の道を探る力になりたいと思っている。われわれの何人かは平壌から約二百万人の朝鮮民族が住む中国の満州里経由でソウルに向かう……」
この復活祭の礼拝式は地元の人にも外国の報道陣にも多大の関心を呼んだ。アメリカの代表団は長い時間、バイブルの代わりに最新の日本製ビデオ・カメラやカメラ、テープレコーダーを手に握りしめていたが、このことは四十年代末以来はじめてという復活祭の異常さを売り彫りにしていた。
皓皓たる撮影のライトとカメラマンのフラッシュを浴びて一九八八年十二月二十五日、東平壌の長忠(チャンチュン)カトリック聖堂でキリスト降誕祭の礼拝式が行われ、パウロ朴主祭は信者ばかりでなく内外報道陣のビデオカメラやカメラの注目の的だった。教会の儀式にカメラの放列という異例な光景は、クリスマスがこの国で四十年ぶりに公然と復活したという特殊な事情によるものだった。それに朝鮮戦争のあと、教会だけでなく平壌の街自体がほとんど廃墟と化し、クリスマスの儀式を行う建物もなかったのだ。(同書)