日本統治時代

宮塚親子の解説通り、北朝鮮の教科書では、日本統治時代における日本人が「悪の象徴」として描かれている。

「ある日、二人の児童団員のお兄さんは、イルチェノムの銃を奪おうと、川岸に出かけました。お兄さんたちは川で魚を獲る振りをながら、イルチェノムが現れるのを待ちました。この時、イルチェスンサノム(日帝巡査野郎)が川のほうに歩いてきました。奴の腰には拳銃がぶら下がっていました。よし、やった。お兄さんたちの胸はドキドキしました。巡査野郎は二人のお兄さんを見て叫びました。〈やあ、こっちへ来い。俺を負ぶって渡れ〉一人のお兄さんが巡査野郎を負ぶって、水に入りました。ほかのお兄さんは巡査野郎の腰をつかみ、うしろから付いて行きました。児童団員のお兄さんたちは、川の真ん中に来るや、日帝巡査野郎を思いっきり分投げました。野郎はあぷあぷしながもがきました。
うしろから付いて行ったお兄さんが素早く拳銃を奪い、奴の頭を殴りました。巡査野郎はウッと叫んで、川の中に沈んでしまいました。児童団員のお兄さんたちは銃を持って、偉大な首領金日成大元帥様が率いられる遊撃隊を訪ねて行きました」「二人の児童団員のお兄さん」より
「イルチェスンサノム(日帝巡査野郎)」は「イルチェクニンノム(日帝軍人野郎)」と同じく、北朝鮮学校教育では日本植民地時代に朝鮮人民を弾圧、抑圧した「悪の象徴」として教えられている。(宮塚利雄、宮塚寿美子『北朝鮮 驚愕の教科書』)
我が国が光復(日本の植民地支配から解放された日、一九四五年八月十五日)する前のことでした。新穀もまだ出ないのに、タルレの家では食べる米がみななくなってしまいました。
タルレの乙さんは考えあぐねて、チジュノム(地主野郎)の家を訪ねて行きました。お父さんは豆の殻が半分以上も混ざった大豆一斗を、やっとのことで借りてきました。
タルレの家はその大豆で粥を作って食べ、春先から畑に出て働きました。努力した甲斐があって、秋になると穀物がよく実りました。〈粥でも飢えずに食べられそうだ〉お父さんは収穫した穀物を見て、嬉しそうに話しました。ところが地主野郎が現れて、収穫した穀物をみな奪って行ってしまいました。さらには貸した大豆一斗を、二斗として返せと付け加えました。
タルレの家には払う大豆も米もありませんでした。狐のような地主野郎は〈それならば、大豆二斗を来年は四斗にして返せ〉と、反対に大声を出しました。タルレの家は食べもしない大豆四斗を借金しました。翌年はその四斗が八斗に膨らみました。三年たったある日、地主野郎がタルレの家を訪ねて来ました。〈どうも大豆八斗を返せそうもないから、そのかわり娘を我が家に寄こすのはどうだ〉地主野郎は眼鏡越しに、タルレをじろっと見つめて、父親に怒鳴りました。〈え、タルレを差し出せと!〉〈みんなおまえさんのことを考えてのことだ。
我が家に来ればタルレもおなかが空かないだろうし、お前さんの家だって食べ口が一つ減るじゃないか?〉〈俺はそんなことはできない〉〈なにい、なんだと。差し出せないだと?
それなら俺が連れて行く〉地主野郎は部屋の中に飛び込んで、タルレを庭に引っ張って行きました。〈お母さん!〉タルレは引っ張られないよう足を踏ん張りました。〈タルレや!〉
お母さんも声を張り上げて駆け寄ってきました。しかし、お母さんは地主野郎の足にふさがれて、倒れれてしまいまいた。お父さんの目からは怒りの炎が燃え上がりました。
〈この獣野郎、腐った大豆一斗をくれて、人をさらっていく!〉お父さんは大きなげんこつで地主野郎を殴って、その場に倒してしまいました。その夜、タルレの家にイルチェスンサノム(日帝巡査野郎)が駆け込んできました。奴らはお父さんをぐるぐる巻いて、引っ張っていき、タルレの家まで奪ってしまいました。家から追い出されたタルレとお母さんはあちこち彷徨いながら、やっとのことで生きていきました。敬愛する金日成大元帥様が国を取り戻され、土地を与えてくれた後になって、タルレの家も豊かに暮らせるようになりました。
(同書)