対日工作

北朝鮮の対日工作の実態については康明道が詳しい。

北朝鮮の日本への浸透工作は五十年代から始められた。日本は南朝鮮へ潜入するためにはまたとない基地だった。まず六十万人に上る在日朝鮮人が住んでいる。
またこれらの多くは北朝鮮を支持している朝鮮総聯系の人々なので、都合がいい。それに日本にはスパイ罪がない。したがって情報収集活動で逮捕されてもせいぜい国外追放程度で済む。(康明道『北朝鮮の最高機密』)
北朝鮮の日本戦略は、まず諜報員の獲得から始められる。そのために、李東浩統一戦線部第一副部長は平壌近郊の龍岳山のふもとに平壌学院を建てた。これは平壌の中心から車でおおよそ二十分ほど離れた鬱蒼とした森の中にある。対外的には海外同胞の研修機関と称しているが、実際には日本に潜入させるスパイを育てる養成所である。
三号庁舎では単に「毘盧峰連絡所」と呼んでいた。(同書)

三号庁舎とは北朝鮮の対外工作機関のことである。対外工作を担当する部署が朝鮮労働党本部の三号庁舎にあったことからそう呼ばれている。

北朝鮮は日本に「ひまわり工作組」という特別組織を持っている。この組織は人民武力部偵察局が、三号庁舎とは別途に運営している組織であり、北朝鮮の要人が日本に派遣された場合、その一挙手一投足を監視するのが主な任務である。スパイたちにも第二、第三の監視網が張られているのだ。調査の末、金イルリョンは裁判すら受けることもなく人民武力部保衛局によって銃殺された。(同書)