金正日の妻子

康明道によれば金正日の初恋相手は成恵琳だという。成恵琳は、2017年2月13日に殺害された金正男の母である。

金正日の初恋の相手は成恵琳だった。彼女はかつて女優として絶大な人気を博していた女性だった。『分界線の村』という映画にも出演していた。
当時の金正日は一九六四年に金日成総合大学を卒業し、党中央委員会宣伝部副課長、課長を歴任し、副部長になっていたときだった。金正日は映画撮影所にほとんど入りびたりになっていた。二人は話を交わしているうちに愛が芽生えた。
成恵琳は金正日より三歳年上だった。成恵琳はそのときすでに結婚していた。解放直後越北した作家李箕永の息子の妻で、二人の子供までいたのである。
亭主は教育委員会の外事局に勤務していた。金正日は夫と別れさせ、夫に若い女を一人あてがってフランスにあるユネスコの代表として出国させた。(康明道『北朝鮮の最高機密』)

ジェービンは金正日が妻と娘を連れているところを目撃している。

八九年が明けると、北朝鮮の航空会社「朝鮮民航」の飛行機でモスクワから平壌へ、モスクワのホテルに出演していたヴァラエティ・ショウの一座を密かに運び入れたのである。
モスクワの朝鮮大使館員が格好の芸人を探し出すために、モスクワのキャバレーを念入りに調査していた。
北朝鮮側は規定に反して、ソビエト市民である芸能人の北朝鮮入りをソ連領事館に通知しなかった。のみならず一行の滞在は「秘密の代表団」の訪問よりも念入りに秘匿され、出演場所は重要な軍事施設よりも厳重に警備されている。到着する招待側の心遣いによって、ソ連の芸能人はエイズのチェックを受けるよう要求された。
ちなみにアフリカ諸国などの他の国の芸能グループに対してはこのような要求は出されたことがない。
主催者側がソ連のヴァラエティ・ショウのリーダーに対して、女性の団員を、この国の高官が集まる「休息の夕べ」に出席させてほしいと依頼してきた。男性の団員は招かれなかった。
ソ連の芸人が出演した宴席のひとつに、金正日は妻と娘を連れて現れ、一座のリーダーに紹介しているが、金正日と妻子は六時間も宴席にいつづけ、見たところ十一~十三歳の娘は日本製のビデオ・カメラで舞台を撮りまくっていたときいている。往復の旅費や滞在費、食事代などの経費はすべて北朝鮮側が負担し、出演料は外貨で支払われた。一行の行動に党のナンバープレートをつけたベンツを提供したり、ショウの会場になった政府の公館を自動小銃で警備させた。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)

金正日の正妻が誰なのかは今もって判明していないが、第一夫人の洪一天との間に娘(金恵敬)が一人、第二夫人の成恵琳の間に息子(金正男)が一人、第三夫人(金英淑)との間に一男二女(金雪松と金春松)、第四夫人との間に二男(金正晢と金正恩)一女がいることがわかっている。
洪一天が金恵敬を産んだのは六八年であり、八九年の時点では二十歳を超えていることから、ジェービンが目撃したのは金英淑とその娘だと考えられる。