金日成を警護する金正日

金正日の主要な功績のひとつが首領の身辺「保衛」と健康「保護」、思想「防護」に関するたえざる配慮にある(『私が見た金王朝』)
公式資料によれば、金正日が首領の警備に自ら配慮しはじめるのは十四歳の時である。
「親愛なる指導者先生(生徒にとっては金正日は教師――朝鮮語でいう先生様なのである)、金正日の革命の歴史」と名付けられた人民学校用の四冊からなる教科書には、一九五六年九月、外国の代表団を出迎えたとき、平壌の路上で金日成と来賓を乗せた車の行列に市民が接近しすぎたことに、金正日が不満を示したエピソードが載っている。
「親愛なる指導者同志は、以後、金日成同志が進まれる道路端の秩序を確立し、何度も予行演習を実施するよう指示された」
それ以来も現在も、外国の高位の代表団が訪れるたびに平壌市民は「予行演習」に駆り出される。中国の指導者たちが訪れたときは、平壌市民の三分の一、約五十万人が歓迎のために街頭に整列させられた。(同書)
朝鮮労働党中央委員会の個々の政治局員が内密の話として、金日成に直接近づけなくなったことをこぼしていた。政治局員でさえ、いつどこで首領と会見できるかをいまでは金正日が決定するようになっている。
一九八四年、アンドローポフ書記長の死にともない、金日成と金正日が平壌のソ連大使館を弔問した。アンドローポフと親しかった金日成は思い出に耽り、いくぶん感傷的になっていた。腰を上げて出口へ向かった金日成は、ホールの中央で立ち止まり、シュープニコフ大使と別れの挨拶を始めた。すると先に立っていた金正日が振り向いて、いらいらした口調で金日成の肩越しに、「早く、早く!」と急がせたのである。(同書)