金正日の世襲

九七年十月八日午後五時、平壌放送と朝鮮中央放送は、重大な発表があると予告したうえで、朝鮮労働党中央委員会ならびに朝鮮労働党中央軍事委員会の特別王道として、「金正日同志が我が党の公認された総書記に高く推戴されたことを厳粛に宣布する」と発表した。人民は喜びと感激にあふれ、金正日同志を命を持って死守すること、全国津々浦々から歓呼が起こり、人民は全国で花火をあげ踊りはしゃいだという報道がされた。
十月一日になると労働党機関紙「労働新聞」は、党創立五十二周年記念社説で、金正日総書記選出は、「実務的な手続きではなく、全党的な大政治事業として、党の最高指導者を推挙したことは、労働階級の党建設の歴史にかつてなかったこと」と正規の手続きを踏まず「全党、全軍、全人民の総意」によって行われたと、手順が超法規的措置であったことを明らかにした。(『北朝鮮 最期の選択』)
一九九六年以前、彼は自分の銅像を建立することを許さず、肖像画の制作を拒み、公に姿を現すことを避けていたが、父の死後は前面に出てくるようになった。
その年、教育省は全国の学校に対し、金正日研究室の設置を命じた。(『密閉国家に生きる』)