金正日のエピソード

以下は金正日のエピソードというよりもプロパガンダである。

金正日の高邁な人格と実践力など、彼の“徳性”をたたえる実記の中にはこういう話がある。冬のある日、映画人たちが三池淵(サムジヨン)に行って撮影していたところ、
大事な道具を持って来るのを忘れたことに気が付いた。
撮影を中断するなど大騒ぎだった。おまけに大雪が降り、文字通り立ち往生だった。その話を聞いた金正日は、さっそく飛行機を送って撮影ができるようにしたそうだ。
このことで金正日の芸術について理解はなお高く讃えられるようになった。また、こういう話もある。ある海辺に住んでいる一人の乙女が貝を拾いに海辺に出かけて、貝拾いに夢中になって、潮が上がるのに気がつかず、海の真ん中に取り残されてしまった。ちょうどそこに氷塊が流れてそれにつかまっていた。
しかし、だんだんと体は冷たい水の中に沈んで、それにつかまっているのが氷だったために体温が低くなる一方だった。金正日はこの報告を聞いて、すぐにヘリコプターを送って、彼女を救助したという話だ。その後連日、新聞やテレビでは、一人の若い女性を助けるために自分のヘリコプターまで送った金正日の特性をたたえるのに忙しかった。
人民たちも、こういう小さなことに飛行機まで動員する金正日のスケールの大きさに拍手を送るのを惜しまなかった。(『いま、女として』)

このように北朝鮮の人民は、金正日について芸術に理解のある人格者であると教えられる。では、実際はどうか。

ある憲兵隊が金正日の乗る車を、それと知らずに止めた。親もろとも銃殺されることを恐れたが、金正日は「憲兵が夜通し苦労して任務に忠実であるために最前線は安泰である」と感謝を伝え、憲兵隊は労働党に入党を果たし、総政治局が自分の希望する進路に進めるよう手配してくれた。道路局の兵士は煙草を一本無心するため車を停めると金正日の特別車であった。が、彼は将軍様の前線視察を妨害した不良兵士として軍事裁判にかけられて銃殺された。(『北朝鮮人民軍 生き地獄の兵営』)
金正日に対する私の記憶は一九六四、五年にまでさかのぼる。当時金正日は、金日成総合大学を卒業したばかりで、党の宣伝部副課長の職にいた。
金正日はその頃、旧型の黒っぽいボルガに乗って、チルゴルにちょくちょく来ていた。主に輸入物の飴玉やお菓子、チョコレートなどを携えてきて村の年寄りたちに振舞ったりした。
私はその時初めて、チョコレートなるものを味わったが、今でもその味が忘れられない。
村の長老たちは金正日のことを「ちびっ子」というあだ名で呼んでいた。身長が百五十八センチしかない貧相な体つきをしていたからである。でも、長老たちには人気があった。「あのちびはなかなか見どころがある。目上の人を敬うことを知っているからのう」と言っているのをしばしば耳にしたことがある。(『北朝鮮の最高機密』)

以下は金正日の卒業論文について。

金正日は、金日成総合大学政治経済学部の卒業論文『郡の位置と役割』で、政治、経済、文化の拠点としての郡を論じている。そこでは、農村に対する商品供給事業を優先して、
物質的文化生活における都市と農村の格差を全面的になくしていくという方針が提示されている。しかし、所詮理論に過ぎず、実戦されることはなかった。(『秘密カメラが覗いた北朝鮮』)

以下は、金正日に自前の歯が一本もないという証言である。

一九九三年三月、北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)を脱退したのち、緊張が極度に高まると、金正日はほとんど二十四時間体制で執務室に張りついた。そのうち、九月になって核の問題がひとまず山場を越すと、金正日は気分転換でもするつもりでしばらくぶりに馬に乗った。金正日は乗馬が好きである。ことに彼は、あまり馴れていない英国産の荒馬に乗るのが好きだった。ところがこの時落馬して頭と腕に大怪我をし、刃を根こそぎ折ってしまった。それで金正日は、口腔学がもっとも発達していると言われているフランスの医師を呼んで入れ歯を作らせた。(『北朝鮮の最高機密』)