普天堡戦闘

「敬愛する首領 金日成大元帥様が 信号銃を撃たれました タンタン、ドカーン 遊撃隊員たちは 普天堡のウエノム(倭奴)をことごとくやっつけました 〈金日成将軍万歳!〉人民たちは声を上げて万歳を叫びました」
普天堡戦闘とは、一九三七年六月四日夜、金日成の率いる第一路軍第二軍第六師の約二百名(九十名との説もある)からなる部隊が、満州との国境沿いの朝鮮国内の町普天堡を襲撃し、面事務所を襲い、駐在所や小学校、郵便局などを焼き払った事件である。普天堡は日本人二十六戸・五十人、朝鮮人二百八十戸・千三百二十三人、中国人二戸・十人が居住しており、駐在所には五人の警察官(うち二人が朝鮮人)がいるだけだった。金日成軍が機関銃二挺で襲撃した。
五人の警察官はみな逃げて身を隠したので、誰も死んでいないが、母親の背中におぶわれて退避した巡査の幼子が弾に当たって死亡した。このほか、料理店経営者の日本人が居室で殺された。北朝鮮はこの普天堡の戦闘を、金日成による抗日闘争の歴史的な大勝利ととらえている。
「この日、金日成将軍は自ら朝鮮人民革命軍の一部隊を率いて鴨緑江を超えて祖国に向かい、日本帝国主義に重大な打撃を与えた。普天堡における朝鮮人民革命軍の銃声は、日本帝国主義の暴虐な軍事警察の支配のもとに抑圧されていた祖国の地を震撼させた。金日成将軍が部隊を率いて普天堡を攻撃したという知らせは、たちまちのうちに全国津々浦々に広がった」
普天堡の戦闘は金日成の神聖化・偶像化には必須の「枕詞」的存在である。
「祖国で初めて得た勝利でした。この戦いは民族再生の曙光であり、朝鮮人民の不屈の気性を見せたものです。夜空に烽火を高く掲げ、朝鮮人民が進む道を照らしたのです」(宮塚利雄、宮塚寿美子『北朝鮮 驚愕の教科書』)