現地指導・視察

農業には全くの素人である金日成が農場に出かけていって、直々に“指導”したことが金科玉条のように守らなければならない、とされてしまうのがいけないのだ。
稲作に関する“現地指導”がその典型である。間隔を詰めて密植すれば、収穫量が増えるだろう、という金日成の浅はかな“理屈”が独り歩きして、現在に至っても改まる気配がない。(宮塚利雄『北朝鮮の暮らし』)
八十年代の半ばから、金日成は事実上祭り上げられていたために、都合のいい報告しか彼の方に上がっていなかった。そのころは、金日成が地方を視察すると農民の冷蔵庫には豚肉がぎっしり詰まっているとか、野菜や米で溢れているとか、そういう演出が行われていました。(萩原遼、井沢元彦『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』)
金日成が隠城にやってきたとき、その準備で町中、端から端まで大掃除をした。偉大な首領様は大がかりなパレードに迎えられた。
全住民が動員されて合唱し、決められたとおりに礼をし、金日成が通るのに合わせて花束を振った。その後、訪問を記念する讃歌がつくられた。彼が滞在した隠城近くの宿泊所にはプレートがとりつけられ、まるで小さな聖域のようになった。
彼の寝たベッドはもう誰も使えなくなり、その部屋に入ることさえできなくなった。「完璧な頭脳」が度重なる視察旅行の途中で泊まった部屋は、国中のどこでもタブーとなっていたのだ。誰であれほかの人間はもう泊まれない(「太陽」――北朝鮮で金日成を指す言葉――がいたその場所に、どうして人間がいられるだろう?)こうして全国数千か所の宿泊場所が、崇拝の対象となり、あるいは永遠に閉ざされた。(カン・ヒョク『北朝鮮の子供たち』)