スローガンの木

北朝鮮には、スローガンの木と呼ばれるプロパガンダを刻んだ木が存在する。

一九九一年十二月末現在、北朝鮮全土の九十九の市、郡、地域で「なんと口号文献(スローガンの木)一万千数百点、六千六百二十余点の革命遺跡や遺物が発見された」という。
金日成の教示によれば「最近、全国各地で発掘されている革命闘争時期にかかれた、数多くの口号文献と革命遺跡、遺物などは、抗日革命闘争が全国的版図で、どれだけ幅広く、深度深く展開されたかということを実証してくれる。貴重な証拠物である」。
さらに金正日は「今回発掘された口号文献を見ると、抗日革命闘争の時期に、革命闘志たちがいかに徹底した革命的首領観を持ち、首領様を高く崇め奉り戦ったかということをよく理解することができる」と指摘したという。(宮塚利雄、宮塚寿美子『北朝鮮 驚愕の教科書』)
口号の木(クホナム)。この木の発見を始めて報じたのは一九八九年一月十一日の朝鮮中央放送であった。
抗日パルチザンが解放前(一九四五年八月十五日以前)に、樹皮を剥いで金日成・金正日・金正淑を称賛するスローガンを書いた木が、突如として二千五百本も見つかったというのである。
その後、このスローガンの木は白頭山一帯ばかりでなく、北朝鮮全域で先を争うかのように発見されることになるが、この白頭山の密営周辺にあるスローガンの木だけは、金日成と金正日の指示によって、スローガンの書かれた部分をガラスの枠で覆い、その上を防水シートでカバーするという永久保存の措置がとられた。しかも、このシートは電動式で上下に動かすことができるという念の入れようである。
この白頭山密営付近で発見されたスローガンは、日本の資料にある「日本ファシスト、軍閥を打倒せよ」「抗日大戦の勝利万歳」「朝鮮の青年よ、すみやかに来たり、抗日戦に力強く参加しよう」といったアジテーション的文句とは異なる。
「白頭光明星万歳」とか「古今東西、天上天下にない世界一の偉人たちをここに記す。民族の太陽・金日成将軍とその陽光を引き継ぐ白頭光明星」とか「ああ、朝鮮よ、白頭光明星の誕生を知らせる」など金正日の出現を褒めたたえることを目的としたものばかりであった。(同書)

このスローガンの木とは、北朝鮮政府の指導のもと人為的に作られたものである。

「この地域の山林に米帝の手先どもが潜伏し、共和国に立鵜する破壊工作活動をしている兆候がある」という口実で住民の入山を厳しく禁止したあと、山林に入り込み、適当な樹木を見つけては表皮を剥ぎ、金日成・金正日父子賞讃のスローガンを彫刻したり書き込んだという。以上のような工作をしたあと、「調査対象地」という名目で住民の入山を三年間、禁止した。北朝鮮の山間地帯は気温差が激しい。三年も経てば、書き込んでおいた字も風雪雨で薄れ、「古く」見えるためである。三年が経過した八七年五月から八八年十二月にかけて、樹木の表皮をむきスローガンを書き込んだくだんの工作員たちが山林に入り込み、スローガンの木発見という仕組みになっていた」(同書)
スローガンの中には「独立達成の暁には救国の将・金日成に真珠を敷き詰めた黄金の玉座を贈り、永遠に尊敬しよう」「祖国解放戦の無双の英雄・金日成司令官を光復祝賀の雛壇に招き、地の果てまでもあとにしたがっていこう!」金正日に関しては「国土三千里を輝かせし白頭の明星万歳!」「明星が出現し、その偉大なる名のもとに朝鮮の名声は高まる」「白頭の明星輝くもと、朝鮮の未来は明るい」「白頭の明星――一九四ニ年、この歳を永遠に記念しよう」というものもあった。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)
金日成一族が滞在したとされる土地には数十トンはあろうと思われる白大理石の巨岩が配され、金日成の言葉とか、金正淑がみずから起こした焚き火の跡であるとか、金日成のために彼女が煮炊きをした野営の跡であるとかの文字が刻まれている。
焚き火の燃えがらが残っている場所はガラスのケースで覆い、日本のガラスの筒に上端を切った古木の幹を差し、そこに三、四十年代に抗日パルチザンが記したという、この古着を枯らさないためにガラスケースのなかにアルゴンガスを注入し、必要な温度を保ち、ケースをズック布で覆い、これをボタンひとつで上下できる仕掛けになっている。
(同書)