忠誠心

北朝鮮の人々は実際、どの程度洗脳されているのかは自らが所属する階層による。

上層部の特権階級は忠誠心が曖昧だ。だが、幹部でも庶民でもない中間層の忠誠心が固く、政権維持に重要な存在になっている。スパイなど特殊業務をやるのはこの層だ。
(朝日新聞アエラ編集部『北朝鮮からの亡命者』)

以下は北朝鮮の洗脳教育によって忠誠心を植え付けられた人々にまつわるエピソードである。

親愛なる指導者への称賛を日記に書いてほめそやされた女学生がいた。彼女の記事が『労働新聞』に掲載され、忠誠心に対して賞が授与された。大学生たちは彼女を変わり者だと見なし、からかったが、露骨には言えない。「君みたいな人と結婚できる幸福な奴は誰だろう」これがぎりぎりのあてこすりだった。(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)
キム医師は党秘書の部屋を片付けていた。秘書は読み書きが苦手で、『労働新聞』や『咸北日報』を読みこんで自分の講義を準備してくれるキム医師に頼り切っていた。
キム医師の方は秘書が労働党への入党を推薦してくれるものと信じていた。片付けている最中、ファイルを納める引き出しが開いたままになっていることに気付いた。
好奇心で開けてみると、特別な監視を要する人物として、病院勤務者の名前が何人かリストアップされた書類があった。各人の名前の隣には注意人物と目される理由が書き入れてある。
もっぱら出身背景に関することだった。両親ないしは祖父母がキリスト教の信者だったとか、地主階級であったとか、日本からの帰還者、あるいは中国に親戚がいる者等々。
彼女はリストの中に自分の名前を見つけた。目を疑った。全行動は完璧のはずだった。性格からして完璧主義で自分を甘やかすことはなかった。いつも率先してボランティアを引き受け、思想教育の授業にもいの一番で出席していた。父親は中国から渡ってきたから親戚がいたが、彼女は会ったことも連絡を取ったこともない。
やがて秘書はキム医師を労働党へ入党させる意図などこれっぽっちもなく、終始監視下にあったことに勘付いた。病院にいる党の高官たちが自分に目を光らせているのを感じた。
彼女の疑念はその二年後、国家安全保衛部の者がふいに病院にやってきたときに確かなものになった。男は北朝鮮からの亡命を計画しているのではないか、それを調べてきたという。なぜ自分が国を捨てなきゃならないのか食って掛かると、男は理由を挙げた。中国に親戚がいる。結婚に失敗した。病院から給料をもらえていない。(同書)
エリートとしての父の出世は、朝鮮戦争で一段と弾みがついた。軍首脳部とロシア軍事顧問団との通訳として最高司令部特区に配属されるや、その当時強力な権力を握っていた崔容健に目をかけてもらえたからだ。おかげで、父は軍部の要人とも何はばかることなく、自然に交流をすることができた。父は、崔容健とロシアの従軍記者たちと一緒に取った写真を、
まるで栄誉勲章みたいに大切にしていた。もう一枚、父が最も誇らしく思っている写真がある。それは、捕虜交換の際、少佐の肩章をつけて現場を指揮している自分の姿を撮ったものだった。その写真は額に収められ、金日成の肖像画の真向かいの壁にかけられてあった。(趙英鎬『にんじんどろぼう』)
韓国から送られてきたビラに「金正日を処断せよ! 金正日は悪辣なテロリストである。人民を洗脳し、その富を搾り取って毎晩酒池肉林をほしいままにしている。
また、その独裁権力を守るために秘密警察を養い、各ミサイルを開発している。また、大韓航空機爆破を始め、世界各地で凶悪なテロ行為を繰り広げている。このような横暴を許してはならない。北の人民よ、立ちあがれ! 金所煮るを処刑台に送り、自由の懐に抱かれよ!」
そして金正日を風刺した絵と裸の喜び組が描かれていた。見た瞬間、私は文字通り切歯扼腕し、どれほど大きな怒りで復讐を固く誓ったかわからない。
「金正日は天から降ってこられた方、世界を動かす太陽だ」と、幼いころから教えられて育った。
また、非武装地帯に配属されたばかりの兵士が、突然、韓国軍に哨所めがけて発砲した。対北放送で金正日を尊称を付けずに誹謗中傷する声が聞こえ、無意識のうちに引き金を引いたという。(チュ・ソンイル『北朝鮮人民軍 生き地獄の兵営』)
李仁謨(リインモ)とは、朝鮮戦争の際に捕虜となったのち、非転向を貫き通した長期囚の元北朝鮮兵である。韓国政府に対して、北朝鮮側が一大キャンペーンを張って『良心囚』として釈放要求を続けてきた英雄である。この老兵士はこのほど、南北対話の象徴として四十年ぶりに釈放され、北朝鮮に凱旋した。(『北朝鮮不良日記』)

忠誠心が必ずしも報われるわけではない。

一九八四年、韓国の水害で北朝鮮から米を送った。工場内でも、家庭環境が良くて、少し努力が見える人たちを扇動対象として選び、米を十~二十キロずつ出させるようにした。
そして米をたくさん出した人にはテレビを上げ、自転車も上げたという流言飛語まで流した。この流言飛語を信じた愚かなものは、この機会に党の信任を得ようと、
家では粥を食べる暮らしぶりなのに米を出す、といった具合だ。彼らは、そうしたことで何の代価もないことがあとになってわかった。お腹を空かしただけだ。(チャン・キホン『北朝鮮 普通の人々』)
砲連隊長と師団長が、被害者夫婦の家にいくらかの米と肉を持って見舞いに行った。滑稽なのは、その時の夫婦の言葉だ。まず妻がこういった。
「まあ、そういうこともあるだろう」夫も顔をほころばせながらこともなげに言った。「久しぶりに肉が食べられます。一緒に食べていってください! ごちそうは分け合って食べるのが我々朝鮮民族の美徳じゃないですか」食欲と性欲に飢えた軍人に与えるものを惜しんだという理由で国家への忠誠心を疑われるのを恐れたのだ。(チュ・ソンイル、前掲書)