敵対階層

北朝鮮の階層階級は「敵対階層」と呼ばれている。どのような人々が「敵対階層」になるのか。

小さいころから新聞記者か警察官、党幹部を目指していた僕は、人一倍勉強したし、成績も良かった。だが大学時代、いったん内定していた中国留学が、保留になった。
理由を調べたら、両親が中国出身であることが引っかかっていた。革命の時外国にいたと言うだけで成分が悪くなる。(朝日新聞アエラ編集部『北朝鮮からの亡命者』)
「中国出身の父親を持つ男の子とデートするようになった。その子の家族は私たちも出身成分が悪かったので、母が付き合うのはやめなさいと言った」(パク・ヨンミ『生きるための選択』)
父系偏重も儒教の名残り。親の出身成分が悪い場合、それが父型だと事態はより深刻で、子供の立場は悪くなる。著者も「もし父方に南寄りの人がいたら、大学にも入れなかったはず」と語っている。(金起成『ボクが捨てた「北朝鮮」生活入門』)
血と汗を流して国家のために貢献したのに、成分が足を引っ張り、陸軍大尉以上の出世はできなかった。祖父の兄の息子が、朝鮮戦争の時に韓国側の保安隊のメンバーだったということが災いした。「一生懸命やっても昇級できない。なにか問題があるはずだ」軍人の成分に関する資料文献を管理している部署に親しい人がいたので、「自分の目標設定のために文献を見たい」と、背広生地一着分の賄賂でマル秘資料を見せてもらった。人事部にあたる部署に、「遠い親戚に問題がある人がいるのだが、私の昇級に支障があるのだろうか」と訊くと、
「本人が一生懸命努力すれば大丈夫だ」
当時、金正日が「懐の深い政治」を標榜していたからそれを信じていたが、やはりダメだった。(朝日新聞アエラ編集部、前掲書)
母方の祖父は「滅共団」という反共団体を組み、活動していたところをつかまって銃殺された。母の家系はもっとも糾弾されるべき悪質分子だった。(『にんじんどろぼう』)
母クムスクは、父方の祖父が日本統治時代に土地を所有していたために反革命的だとみなされていた。
そのような不名誉は三代先まで受け継がれるため、母は一九六六年に産まれた時点ですでに敵対階層の一員とみなされ、エリートの特権から排除されていた(パク・ヨンミ、前掲書)
金日成が反逆者の粛清を始めた。全国民が国家への忠誠度を調べられ、出身成分を記録された。残念なことに、祖父は調査官に、自分の父親は穏城(オンソン)の地主だったと正直に話してしまった。
その瞬間から、祖父は悪い成分を背負わされることになり、労働党員になる見込みも、いい職につける見込みも消えてしまった。祖父はボタン工場に配置された(同書)

北朝鮮では身分の低い者は地方に移住させられる。

下層階級の北朝鮮人は展示都市たる平壌や、土壌が豊かで気候温暖な南の方の快適な地方には住まわせてもらえなかった。(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)
敵対階層の人々は国境や海岸近く、平壌や開城から五○キロメートルより近く、その他の大都市の二○キロメートルより近くに住むことを禁じられた。敵対階層は北の荒れ果てた山岳地帯の道に強制移送させられることを意味した。(アンドレイ・ランコフ『民衆の北朝鮮』)
母方の叔母夫婦が、朝鮮戦争中の一九五一年一月から四月にかけて韓国に逃げていたという事実を、父はずっとひた隠しにしていた。ところが、八四年、国家保衛部が行った住民調査でバレてしまい、それがもとで、一家は茂山(ムサン)の鉱山に送られた。
それまで一家三人で住んでいた慈江道チュウルの家は、十五坪で二部屋に台所と庭があり、付近には金日成の別荘があって、近所も成分のいい人ばかりだった。茂山では、一件に六世帯も押し込められ、一家当たりの広さは四坪しかない。(朝日新聞アエラ編集部、前掲書)

したがって居住地区によって身分の上下が決まる。

韓国国境に近い黄海道には、朝鮮戦争のときに韓国側についたものが多かった。「黄海道出身者だと、まず出世は望めない」当局は、黄海道における敵対階層の比率があまりにも高いため、特に成分の悪い者を分散移住させてしまった。浪林山脈が連なる北方の慈江道や両江道、さらには咸鏡北道の山中へである。これとは対照的に、三十八度線から遠く離れた咸鏡道出身者は、金日成主席のそばについて朝鮮戦争を最後まで戦った。したがって、階層・成分はおおむね良好だ。だから出世も早い。(李英和『北朝鮮 秘密集会の夜』)

結婚相手の階層が違うと問題が生じる。

叔父の娘が、嫁ぎ先に我が一族の出身成分を隠していたことが発覚してしまった。夫から追い出された娘は、私に手紙をよこした。手紙には、我が家に対する恨みが綿々と綴られ、「あなたの父とは本当の兄弟ではないと話に来てほしい」と書かれていた。仕方なく、私は叔父の娘の嫁ぎ先に行って嘘をついた。私の父と叔父は苗字こそ同じだが、日本にいたとき結ばれた義兄弟に過ぎないと適当に言いつくろった。この事件以来、叔父の家と我が家の関係は完全に途絶えた。(チャン・ソンヒ『祖国を棄てた女』)