学校生活全般

ここでは北朝鮮での学校生活について引用していく。主に人民学校(小学校)と高等中学校(中学、高校)での生活について。北朝鮮では三月に入学式があるが、新学期は四月から始まるようだ。

帰国事業が始まったのち、一九六一年から、それまで九月新学期だった教育制度を、日本と合わせて四月新学期に改めた。(張明秀『裏切られた楽土』)

帰国事業とは、在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させる事業である。
以下は小学校の評定と長期休暇について。

小学校の試験は一年に二回、期末に実施し、最高点(五点)、優等(四点)、普通(三点)、合格(二点)、落第(一点)に区別される。学校によっては成績優秀者の顔写真を廊下に掲示しているところもある。小学校は三月に春休み(一週間)、八月に夏休み(二週間)、一~二月中に冬休み六週間をとっている。
もっとも、夏休みや冬休みは毎日、宿題と義務労働を果たさなければならない。(宮塚利雄、宮塚寿美子『驚愕の教科書』)

また、教室での席順について以下のような証言もある。

北朝鮮の学校では成績順で教室の席を決めていた(パク・ヨンミ『生きるための選択』)

以下は遠足について。

金日成がパルチザンで戦ったとされる土地を徒歩で訪ねるのが北朝鮮の学生の遠足のようなもので、「革命戦跡地踏査隊」と呼ばれるグループを組んで旗を掲げて歩く。(宮塚利雄『浮浪児と美女軍団 北朝鮮の暮らし』)

北朝鮮には「生活総和」または「生活総括」などと呼ばれる批判集会があり、小学生も参加しなければならない。

小学校の授業は月曜から土曜日までで、土曜日は「生活総和」の時間がある。これは一週間の生活の反省と、来週の生活に対する決意と覚悟を述べる時間である。
この「生活総和」では、自分以外の学友の生活態度も批判しなければならないので、時には相互に不信感が生じることもある。この「生活総和」は、金父子に関する授業と同じで、いい加減な言動は許されず、かなり苦痛を伴ったと脱北者は語った。(宮塚利雄、宮塚寿美子『北朝鮮・驚愕の教科書』)

北朝鮮のプロパガンダ教育には音楽が重要である。北朝鮮では小学生も中高生も大学生も、登下校の時に歌を唄いながら隊列を組んで行進する。

行進するときに『社会主義は私たちの手で』を歌う。(『密閉国家に生きる』)
教師は全員アコーディオンが弾けなければならない。先生は教室でよく『この世にうらやましいことはなにもない』を歌う。
「わたしたちのお父さま この世の中に、うらやましいことはなにもない わたしたちの家は、労働党にいだかれて みんなの兄弟、姉妹です 火の海が襲いかかってこようとも 可憐な子たちは恐れませんわたしたちのお父さまがここにいる うらやましいことはなにもない」(『同書)

北朝鮮の学校教育で最も重視されるのは金日成に関わるものである。

個人的にも金日成の徳性資料を暗誦しなければならない。どんなに成績の悪い生徒であろうと、徹夜をしてでも暗誦しなければならない。
放課後、学校の辺りにある木の下に鞄を集めておき、図録板になっている金日成の徳性実録と金日成革命歴史を暗誦し、少年班別に先生や級長の検閲を受けた後で家に帰ることができる。
一少年班は六名でなっているが、一名でも覚えられないものがあれば、全員夜九時すぎまで帰れない。だから北朝鮮の生徒と人民たちは誰でも、金日成を褒めたたえる文句と内容を、いつどんな場でもスラスラいえるようになっている。(金賢姫『いま、女として』)

北朝鮮のプロパガンダ教育は徹底しており、廊下の壁に残酷な絵がかけられてある。

学校では、壁のいたるところに、韓国の女の子が「私の眼を買ってください。病気のお母さんを助けてください」と書いた札を首から下げているような、プロパガンダ用の絵がかかっている。生徒たちは、教室から教室へ移動するときや休み時間の時、一日に何度となくそう言った絵を目にする。(呂錦朱『少女が見た北朝鮮』)

以下は北朝鮮の子供同士の喧嘩について。

クラスの中でいったん喧嘩が始まると、男女の間でも殴り合いになるのは当たり前だった。傘は飛ぶわ、椅子は飛ぶわ、傷ができたの頭が割れたのと、もう大騒ぎだった。
男の子たちにも気の荒い愚連隊みたいのがウヨウヨいたが、女の子の中にも女番長みたいな子がいて、黙ってない。女子に口で負けそうになると、男子はテコンドーの真似をして女子を威嚇してくる。それでも女子が黙らないと、今度は本当に蹴とばしてくる。(同書)

当たり前だが、北朝鮮の子供達も私たちと同じ人間である。喧嘩もすれば、飲酒がバレて教師に罰を食らうこともある。

私がクラスの民青副委員長だった二年生の時のこと、七人の男子学生が人民軍に入隊することになり、送別会をやることになった。彼らは生まれて初めての酒を酌み交わし、昔の流行歌などを歌い、この友情をいつまでも大切にしようと即興の詩を詠むなどして大いに盛り上がった。
規則で学生の飲酒、喫煙は禁じられていたし、特に流行歌を歌うことは封建儒教思想の残滓があると決めつけられ、無条件で処罰の対象になることは、みな承知していた。ところが、誰かが学校へ密告してしまった。「自己批判書を書くんだ! でも、いいかげんに書いたら校長先生にまで報告して全員退学にするぞ」(張仁淑『凍れる河を超えて』)

以下はパレードの練習について。

子供は全員、学校の体育の時間やほとんど毎週末、こうした楽団付きパレードの練習をさせられていた。
敬礼の仕方や、花束を高すぎず低すぎず上手に振る方法、行進の仕方、そのすべてを音楽に合わせる方法を習うのだ。振り付けも数種類覚えなければならなかった。
特に、離れてみると「労働党万歳」や「偉大なる金正日指導者万歳」といったスローガンになる、大きなボードの掲げ方を習う。
完全に揃うようになるまで、何時間も何時間も練習させられた。総けいこは、金日成と金正日の誕生日の祭日に行われた。その日には学校対抗でパレードのコンクールがおこなわれ、優勝校には賞状が贈られた。(カン・ヒョク『北朝鮮の子供たち』)