ガス、煉炭

越冬準備に欠かせないのは煉炭であった。各町内にある煉炭工場から配給してもらえるだけの量を買いこんだ。普通冬には(十月中旬から翌年四月中旬)六百個ぐらい買えるのだが、煉炭が配達される日は、子供、大人の区別なく家族全員が動員され、バケツ、たらいに練炭を入れて廊下に積み上げる。
廊下に真っ黒な練炭が積まれると、美観上よくないので、煉炭の側面に白い紙を貼りつけて覆わねばならなかった。庭に下ろすときに壊したり、運んでいる最中に割れた煉炭は、日曜日に手動機械(煉炭を鋳型に入れて作り直す道具)を借りてきて一つ一つ穴を開けて作り直し、乾かしたあとにまた使った。ところが煉炭は、えてしてよく壊れるので、休日になると男たちは一日中煉炭の繕いに時間を費やした。
煉炭を焚いて、最も危険なのはガスである。冬になるとガスのためにたくさんの事故が発生した。
事故を未然に防ぐために人民班ごとに「ガス巡察隊」を組織し、各世帯を見回るようにした。普通、夜中の一次かに時頃に見回るのだが、各家庭ごとにドアをたたいて起こし、
異常がないことを確かめ印鑑を押して帰って行く。ガス巡察隊は各世帯ごとに順番で人を出して組織した。(金賢姫『いま、女として』)
清津は下水システムのせいで伝染病が発生しやすかった。それは朝鮮戦争のあと大急ぎで建設されたもので、女性たちが洗濯する川に未処理の排泄物が混入してくる。
しょっちゅう停電になるので水道は宛にならない。ふだんは電気と水道は朝一時間、夜一時間だけしか使えない。水を大桶にためておくので(風呂桶のある家は稀)、そこでバクテリアが増殖する。石鹸のある家はない。抗生物質があれば腸チフスは怖くないのだが、一九九四年までは枯渇していた。(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)