生活総括/思想闘争/自己批判集会

北朝鮮の党幹部を含むすべての人民は、自己批判と他者批判を行う集会への定期的な参加を義務付けられている。これについては北朝鮮の秘密警察『国家安全保衛部』の元要員尹大日の説明を見てみよう。

党組織をはじめすべての組織は、毎週土曜にメンバーを集めて、習慣の組織生活の状況を総括する。自己批判と相互批判の雰囲気の中で進め、政治学習や講演会、学習に対する総括も行う。こうして彼らの忠誠心を誘導する一方、組織生活の不誠実だったり組織の統制の非協力的な人には、大論争という闘争舞台にあげて集中攻撃し、組織には迎えないよう脅している。(尹大日『北朝鮮・国家安全保衛部』)
必ず総括文を文書にし、金日成の教示、金正日のお言葉、「十大原則」の中から自分の欠陥に該当する文章を引用し、
それにもとづいて自己批判と相互批判をしなければならない。(同書)

次は北朝鮮研究者のアンドレイ・ランコフの説明。

金正日が自己批判集会を発明したと主張する。これは正しくなく、毛沢東の中国で広く行われていた。が。七○年代前半、当時三十歳であった金正日がそれらの集会のための新しいモデルを発展させ、それ以降、続けられていることは確かだ。自分の罪と逸脱行為のすべてをノートに書いておかねばならない。
兵士はライフルを適切に掃除しなかったとか、訓練中に的を外したなどであり、学生は宿題をうまくやらなかった
ことを懺悔し、主婦は適切な情熱を持たずに近くの通りを掃除したと認める。単に誤ちを認めるだけではなく、過ちを正す対策も示さなくてはならない。金日成や金正日の義務的な引用で公開の演説を終えると、次に相互批判の番になる。党細胞であれ、女性同盟や勤労者同盟のグループであれ、平均的なグループは七人から十人であり、集会は平均一時間半。
つまりそれぞれのメンバーの罪を明らかにして非難するのに一人当たり約十分ある。
友人と批判し合うことを事前に取り決めて、計画したシナリオに従うことは、よくあることである。小さな騒ぎを起こすことを恐れる者は、より重大なことに関与する可能性はずっと少ない。(アンドレイ・ランコフ『民衆の北朝鮮』)

このような批判集会は北朝鮮では「生活総括(生活総和)」「思想闘争」「自己批判集会」などと呼ばれている。では、批判集会の様子はどうか。以下は脱北者の証言である。

高原のおばは国家への忠誠が厚く、人民班の班長をしていた。人民班の集まりは週に一度開かれる。国が国民の活動を把握し、新しい指示を伝えるのがその目的だ。
土曜日になるとみんなで集まってプロパガンダを学んだり、自己批判をしたりする。それは学校や職場単位で組織されていて、学校へ通う生徒は学級に、労働者は職場に集合する。
まずは、金日成や金正日の言葉を書き写す。世界のほかの地域の人が聖書やコーランの一節を書き写すように。次に、その週に自分のしたことをすべて書き出す。
それが終わると、みんなの前で立って自己批判をしなければならない。
たとえば、次のように始める。『今週、私は親愛なる指導者の限りない無条件の愛への感謝が足りませんでした』
続けて、党に命ぜられた仕事を身を入れてやらなかったとか、一生懸命に勉強しなかったとか、同志への愛が足りなかったという。
私たちはみな“アメリカ野郎”あるいは“血に飢えた西の狼”と戦う同士だから、お互いへの愛はとても大切だった。
最後に『それでも、親愛なる指導者は広い慈悲の心で私を許してくださいました。それに感謝して、来週はもっと頑張ります』と締めくくる」
自己批判が終わった後は、他者を批判する時間だ。クラスメートの一人を名指すると、私の批判に真剣に耳を傾けなければならない。
だれだれは親愛なる指導者の教えに従って居ませんでした、グループ作業に参加しませんでした……批判が終わると、やり玉に挙げられた生徒は私に感謝し、これからは行いをあらためるとクラス全員の前で誓わなければならない。(パク・ヨンミ『生きるための選択』)
「これより偉大な領導者金正日将軍様が与えてくださった週党生活総括を始めます」
インテリ層と映画俳優などの芸能部門で働く党員たちは二日に一度の頻度で党生活総括を求められる。権力層のプライバシーを知りうる立場にあり、権力者たちの暗部を知っている
ためである。(尹大日『「北」の公安警察』)

批判集会は学校でも行われ、子供たちも参加を義務付けられる。

少年団であれ社労青であれ、組織生活をするにあたり最も難しいことは、なんといっても「思想闘争」をするときである。中学校の時は三十五歳の未婚の先生が担任だったが、外観はスマートだが性格が悪く、自分が良く思わない生徒を続けざまに批判させ、責め立てた。一度は学校内のチンピラの根を絶やしたいと、学校総会の時一人の子供を集中して批判
するようにした。批判の対象になった主人公は欠席も多く、掃除の日にはさぼるような遊びだけが好きな落第生だった。私は学級幹部であるために当然“批判事業”に立たなければならなかった。「トンムは時間がなくて掃除ができず、宿題をしなかったということは口実です。昨日も外で遊んでばかりいたのに、それじゃ遊ぶ時間はあるのに掃除や宿題をする時間がないというのですか? これは組織生活に忠実であれという父なる元帥様の教示に背き、忠実では泣く責任感がないということであり……」
鮮英(ソンヨン)という子は思想闘争の時、すっくと立ちあがり大胆な批判をよくする子であった。「トンムはどうしてそうすることができるんですか? 良心がありません。
トンムは父なる首領様の懐で勉強する児童としての資格がないから退学になっても当然です」子の子供は人の弱点をよく指摘する上に八重歯前出ており男の子たちから「チョデミ(くちばしでよくつつく奴という意味)」というあだ名をつけられた。ほとんど毎週二、三回ずつ繰り広げられる批判の時間に批判の種を探すのだから、学校は友達はもちろん、父母兄弟までをも批判できる忠誠心を育むところでもある。(金賢姫『いま、女として』)

学校に通う生徒が罰を与えらえるときも批判集会が開かれる。

学生たちの間で変な歌が流行した。映画の主題歌や既存の歌の歌詞を変えて歌うユニークな歌であった。さらに歌謡曲にまで他の菓子を付けて歌ったりしたが、一瞬にして全校に広がり、波紋を起こした。このような場合、全校生徒が罰を受けることになる。思想闘争と呼ばれる恐ろしいものであるが、夜中の十二時になっても家に帰らせてもらえず、自己批判と討議を通じて最初に歌った学生を選別しなければいけないのである。そのために一日や二日ではなく、一か月の間毎晩十二時、一時まで続けられる。批判する中で、その歌を歌ったという学生を呼び出して「不良生徒の教養班」というものをつくる。そしてここに入れられた不良生徒たちは家にも帰してもらえず、二か月近く、ともに寝泊まりしながら集団生活を余儀なくされる。一番やりたく無い仕事、つまりトイレ掃除と学校の建設事業のようなところに連れていって重労働をさせるのである。(チャン・キホン『北朝鮮 普通の人々』)
「フェハク」とは十日間毎日集まって思想闘争会議を開き、不純行動の根っこが抜かれるまで寝かせない罰である。最もひどいときは糞尿桶を清掃する仕事をさせるのだが、
それも必ず手ですることになっている。豚小屋の掃除も手でふき取ったように手で処理しなければならない。(同書)

芸術団の団員が公演で失敗すると集中砲火を浴びることになる。

公演中は団員の一人でも失敗を犯すと、その日は全員で夜を徹して思想闘争(生活総括と似ており、自己批判、他者批判をすること)をしなければならなかった。(申英姫『私は金正日の「踊り子」だった』)

また、以下の証言から党員と非党員で集会の時間が分けられていることがわかる。

「ただいまから一九八二年七月二十三日金曜日の一般生活総括を始めます」隣の部屋には入党した団員が別に集まっていて、労働党の細胞秘書(責任者)の指導の下に総括を行っていた。
残りの非党員は各自、社労青や職盟(職業同盟)で別々に総括時間を持っていた。当時、私は党員ではなかった。ふつう万寿台に入って一年以内に入党させてもらえるが、まだそんな機会はなかったから、社労青職員の集まりに所属していた。そこは若い人が集まる組織で、非党員で年かさの者は職盟に属していた。(同書)