密告

北朝鮮では、たとえ相手が親兄弟であろうと、不穏な発言をした者は当局へ密告することを奨励されている。

「もちろん我が国は偉大だが、外国には学ぶべき工業力を持っている国がたくさんある。そういう国々から学ぶために、我々は首領様の下でもっと開かれた国にならなければならない」「子供になんて話をするの。あなたは空軍の中では英雄だけど、人民軍全体ではにらまれているのよ。理想が高いのはいいけど、もうちょっと大人になってからにしてちょうだい。それにあんな話をして、わけもわからずソンイルが外で何を言うか……」もし指導者に逆らうような兆候を少しでも見つけたら、相手が親兄弟でも迷わず当局に報告するよう求められる。
父はソ連留学の経験があった。そのため、北朝鮮の人間としては考え方が比較的合理的、かつ開放的だった。家の外ではそんな考えはおくびにも出さなかったが、家の中では酒を飲むとよくそういう話をしては母に小言をいわれていた。(チュ・ソンイル『北朝鮮人民軍 生き地獄の兵営』)

以下は家族が密告された例である。

私のクラスに、すらりとした美人で勉強もできる具自香(グジャヒャン)という女の子がいた。私の家と同じ下新洞(ハシンドン)32号棟アパートの一階に住んでいた。
彼女の叔父が平壌児童百貨店の支配人だったので、そのころほかの家には見られぬ白黒テレビが彼女の家にはあった。いつも十分なおやつが用意されており、私は夕方になると、彼女の家に行ってテレビを見たり、キャラメルをもらって食べたりした。弟たちもみんな勉強がよくできて、学校少年団の委員長をしていた。
一九六○年代末に、下新洞アパートクラブで各洞別に演劇会を催すことになり、具自香の母親は米軍の兵隊役をやり、私の母は安全員(警察官)の役をやった。近所のおばさんたちはみんな、具自香のお母さんが太っているからアメリカの軍人にぴったりだと言った。
一九七四年のある日、具自香は学校に来なかった。近所のおばさんたちが集まって、具自香の弟が、自分の母をスパイだと社会安全部(警察)に密告したとひそひそ話していた。その後、具自香は弟たちと一緒に両江道収容所に送られ、お嫁に行った彼女の姉の家族までも町から追い出された。隣近所の人々はあの家族と親しくしていたので、自分たちのみにも何か災いが降りかかるのではないかと恐れた。幸い何も起こらずそのことがおさまった。(金賢姫『いま、女として』)

密告すると得点になるので、隣人が不穏な発言をするよう誘導する人々もいる。

ソン夫人は人民班長をつとめていた。ソン夫人は国家安全保衛部に所属する一職員の配下に入った。カン同志はソン夫人よりいくつか年上で労働党役員と結婚していた。
食料配給が間遠になってきたころ、住民が大勢に関する悪口を言っていないかどうかしりたがった。「食べ物のことで文句を言ってるでしょ? なんて言ってるの?」「何も言ってませんよ」「あなたがまず不満を言ってみないと。どうして食料配給がないんだろう、って口火を切るのよ。そして連中がどんな反応をするか見るの」(バーバラ・デミック『密閉国家に生きる』)
農村を行軍していた時に同僚の一人が「今年は凶作になりそうだ」「腹が減って耐えられない」とつぶやき、後列にいた人物が「この男は金日成首領様の主体思想批判をした」と告発したのを見た。同僚は後日、鉱山に送られた。(朝日新聞アエラ編集部『北朝鮮からの亡命者』)

保衛部と呼ばれる秘密警察が密告屋をスカウトする。

大学生の彼を密告屋にスカウトしたのは、大学に常駐する保衛部の要員だった。三○人ぐらいのクラスだと、二名ばかりがスカウトされるという。「一度、目を付けられたら断れません。密告屋になれば、定期的に呼び出されて、同級生たちの言動を報告させられるのです」もちろん「特に報告することはありません」では済まされない。ときには「目に見える。“成果”を期待されることもある」という。「窮地に立って、苦し紛れにありもしない事件を報告する密告屋もいる」(李英和『北朝鮮 秘密集会の夜』)

どれだけ注意していても、幼い子供がそれと知らずに家族を“密告”してしまうこともある。

ある党幹部が、密かに巫女さんを呼んで祈祷してもらった。末期がんの妻を何とか助けたい一心からだった。家族には厳重に口止めをしてのことである。秘密警察に知られれば、前近代的な反革命思想の持主とされ、収容所行は間違いない。ところが、小学生の子供が、学校の反省時間に、その模様を担任の教師にしゃべってしまった。反省時間というのは、密告の授業のことである。おかげで一家全員は山送りとなった。(同書)