第十三回世界青年学生祭典

世界青年学生祭典とは、一言でいえば東側諸国のオリンピックである。

一九八九年七月一日。第十三回世界青年学生祭典開会式。ソウルオリンピックの開催で、北朝鮮にとってもっとも憂うべきことは、これまで北朝鮮の味方だとみなしてきた東欧社会主義諸国と、最大の友邦中国が韓国に代表団、選挙団を派遣すると決定したことだった。北朝鮮政府は、ソウルオリンピック参加を決めたすべての友好国を変節者と非難した。
外交関係を断絶する強固な立場を貫きたかったのだが、北朝鮮に同調した友好国はキューバ、ルーマニアなどたったの四ヵ国だけだった。韓国への対抗上、第十三回世界青年学生祭典を、オリンピック以上に盛大に開催することを決定。本来の友好と親善のための祭典とは程遠いものだった。「アメリカ帝国主義と南朝鮮傀儡徒党の高慢な鼻柱をへし折らねばならない」と主張。
「いついかなる状況においても、チュチェの祖国の偉容を示し、首領様の周囲に固く集結した、わが人民の不敗の力を誇示するように」(張仁淑『凍れる河を超えて』)

平壌で開催された第十三回では、在日朝鮮人の大きな支援があった。

一九八九年、第十三回世界青年学生祭典が平壌で開催され、学生の宿泊村やさまざまな催し物の会場を訪れ、この目で直接確かめたが、在日朝鮮人の財政・物的援助や、接待要員として派遣された在日朝鮮人青年の大グループがこの祭典の開催に大きな力があったのである。北朝鮮には開催に必要な人的資源も、全世界から参加する青年たちを満足させるだけの商品もなかった。したがって、皮肉な話だが、この祭典をボイコットした日本が、現実に開催を保証する物的、技術的、財政的、人的に重要な役割を担ったのである。
「在日本朝鮮人総聯合会(総聯)」の指導層を北朝鮮の国会議員にしたり、在日朝鮮人を北朝鮮の在外公民だと声明したり、在日朝鮮人の教育財団に金日成を形式的に加えたり、こういったことはみな、「総聯」との交流を維持し、統制を確保するためだけでなく、彼らに対する金日成一族の「首領権」を誇示し、この問題を日本への圧力とした利用する必要から生まれたものなのだ。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』)

この祭典でのトラブルもジェービンによって報告されている。

一九八九年夏の第十三回世界青年学生祭典に西側諸国の青年学生が大挙して北朝鮮を訪れた。これを受けて、この国の当局は「ブルジョワ文化」に直面して北朝鮮の青年が経験することになる「文化ショック」をなんとかやわらげる措置に踏み切った。この一種の緩衝材の役割を果たしのは、有名なソ連の現代歌謡歌手、アーラ・プガチョーワだった。
プガチョーワが招かれたのは、信頼すべき筋の情報によれば、金正日はソ連のロック歌手の出演が前々からお気に召していた。一九八五年、朝鮮解放四十周年を機に、この国の作曲家をふくめた、彼女の歌をおさめたカセット・テープ「平壌――モスクワ」が北朝鮮で発売されたのに続いて一九八九年には「親愛なる指導者」みずからのアーラ・プガチョーワ招待となったのである。
ところが、プガチョーワ一行が平壌の順安空港でソ連に飛び立つ飛行機に乗り込んでいた時、バンドの一人が北朝鮮国民が持ち込んでいた大きな箱に蹴つまづいたのである。そのとたん箱が火を噴き、嫌なにおいの煙があがった。乗客はただちに、全員避難させられ、箱は機外に運び出された。この箱のほかにも強烈な酸を詰めたガラス瓶の箱がいくつかあったのである。
シベリア製材所で働くこの国の労働者の要請で運ばれようとしていた。
民航局長が空港に駆けつけ、電話で金正日に事故を報告し、乗っていた飛行機を別の機に変更し、北朝鮮の乗客を全員下ろしてしまえとの金正日の命令があり、空港で三時間待たされ、ようやくプガチョーワは祖国へ飛び立った。(同書)

党幹部によるネコババ事件も発生している。

一九八九年七月、金正日は党に異例の指示を出した。「教会や寺で献金やお布施をネコババする行為は、党に対する忠誠心が不足している証拠だから、教会の献金を横領した者を徹底して調べろ」という内容だった。
有名な「教会献金事件」のことで出した教示である。八十九年六月に開催された世界青年学生祭典のときに起きた事件である。
北はこの祭典に合わせてチルゴル協会と鳳水(ポンス)教会を建てた。北朝鮮でも自由な宗教活動ができるということを世界に示すためだった。「北朝鮮=宗教の自由」というイメージを創出するためのこの事業の推進を受け持ったのは、対南事業を担当している三号庁舎の統一戦線部・第一副部長である康寛柱(カングァンジュ)だった。
康は信者を募集するために統一戦線部傘下の諸団体を動員することにした。これらの団体は党の正体を隠すための隠れ蓑である。たとえば祖国平和統一委員会、祖国統一民主主義戦線中央委員会、朝鮮社会民主党、天道教青友党、仏教徒連盟らがそれである。康は労働党三十九号室直属の大聖銀行からドルを借り出し、信者たちにそれぞれ百ドルずつ分け与えた。信者たちが礼拝を終えて献金するとき、こぞって百ドルずつ献金させる。すると外国からやってきた人たちも面子があるから、最小限百ドルは出すだろうという計算だった。計画は見事に的中した。だが胸算用した献金の総額があわない。
調べた結果、統一戦線部の宗教団体幹部がかなりの額をネコババしていた。幹部が独り占めしてしまったため、腹を立てた部下が党中央に密告した。(康明道『北朝鮮の最高機密』)