党幹部の特権

朝鮮労働党の幹部とはどのような人々で、どのような特権を持っているのか。

政府機関で働いているO・Y氏は、白い肌にふっくらとした頬をしていた。金日成や金正日ほどには太っていなかったが、日本などでよくみかける中肥満体のからだの持主だった。
刈り上げた短い頭髪は七・三にきれいに分けられていた。服装も、上等のサージで作られた人民服を身に着けていた。
「自分の給料は百三十ウォン、これだけでも満ち足りた生活ができるのに、私の妻が一般事務職に就いて九十ウォンの月給をもらっている。そのため妻の給料のほとんどは貯金しており、いまでは相当高額の貯金者である」さらに、共和国が日本に比べると衣食住が格段に安いことも力説した。自分が総連の専従活動家をしていた時代、数万円のアパート代に苦しめられたが、それに比べると、「共和国の住居費はタダも同然である」といい、その証拠として彼の住まいを例に挙げた。「自分がいま住んでいるのは広々とした三DKのアパート。その部屋代が光熱費を含めて月給のわずか一・五%強、二ウォンにしかならない。その上、共和国では教育と医療はすべて無料、国家が保障してくれるので、この面では全く出費はいらない。
私より給料の少ない人民たちも何不自由なく幸せな暮らしを楽しむことができる」共和国人民大衆がいかに豊かな食料に恵まれ、毎日腹いっぱい食べているかについても、私たちに証明しようとした。「国家は農民からコメ一キロを六十チョンで買い上げ、私たちに立った八チョンで分けてくれる。私たちのような五人家族で、平均一人十キロ食べると計算して五十キロ、四ウォンあればよい。副食費を入れてもおつりが出る」(金元祚『凍土の共和国』)

政府機関で働くO・Y氏の説明は、短期訪問者向けのものなので、あてにはならない。北朝鮮の関係者が外の人々に向けの発言するときは、自分たちの国がいかに豊かかを主張するのが普通だからである。
しかし、政府高官や党幹部が特権を享受し、豊かな生活をしているのは事実である。

党幹部であれば就職や職場の人事、住居でも優遇される。

人事、職場の配置、住宅などは、党幹部間で互いに親や姻戚の要請を聞き入れて、自分たちだけですべて良いように処理する。そのほかの一般人たちは、必ず党幹部に賄賂を贈らねばならず、職場の配置や住宅などには、安くても外貨や時計、服の生地、そして高い場合にはミシンや扇風機、米その他の食料品を納めねばならない。(チャン・キホン『北朝鮮 普通の人々』宮塚利雄訳)
牡丹峰(モランボン)の振付師の一人、朴光淑(パククァンスク)指導員は誰よりも労働党の庇護を受けていた。噂によると彼女の夫は対南活動をしているから、党から家族への配慮を受けていると言われていた。だからパク指導員の子供たちは金日成総合大学を卒業して就職も優遇された。(申英姫『私は金正日の「踊り子」だった』)
クムシリの実家は平安南道の田舎で、両親と軍隊に行った兄が一人いた。クムシリが幹部事業でよい結果を得てからすぐに兄は除隊し、社会安全部関係の職場に移って、平壌に住むようになり、実家も平安南道の道庁所在地である平城に移り住んだ。(申、前掲書)

党幹部の住居は豪華な高級アパートである。

私たちはは夫の希望通りに別居しないで新婚生活を始めた。実家は一〇五階建ての柳京(ユギョン)ホテルの向かい、蒼光(チャングアン)通りにある十九階建ての高級アパートだった。
円筒型のこの建物は洗練された雄大な美しさがあった。そこには主に中央党の幹部らが暮らしており、彼の実家は八階にあった。一階に一世帯が暮らしていたが、中に入ると二階になっている重層構造だった。部屋数は全部で八室で、義理の両親と独身の義妹、そして私たちが使っても余った。(同書)

しかし、党幹部でも手に入らないものがある。自動車である。

義父は党からのお迎えの公用車を利用した。北朝鮮ではいくら高位の幹部でも自家用車は持っていなかった。(同書)
車を持てるのは金持ちの在日帰国者くらいだった。しかし帰国者が平壌で自家用車を乗り回したい場合はまず二台を購入して、一台は党に献納してから、やっと一台を自分の所有にできるのだ。(同書)

幹部の子供たちの間ではセイコーの腕時計を持っていることがステータスなのだという。

闇屋・仲介人の顧客は金持ちの党・政府高官。彼らの子供たちの間では、セイコーの腕時計は、ソ連や東欧社会主義諸国の青年たちが欲しがる米国製ジーンズのようなもので、一種のステータス・シンボルだ。(金、前掲書)