凍てつく気候に咲く熱帯の花

一九六四年、ブントというインドネシアの植物学者は新種のランをつくりだした。一年後、当時のスカルノ大統領はその新しい花を外国の賓客――北朝鮮の指導者、金日成を喜ばせるために使うことにした。スカルノはその花を金日成に贈り、そのランにその賓客の名前を付けるよう提案した。金日成はその考えを気にいった。(アンドレイ・ランコフ『民衆の北朝鮮』鳥居英晴訳))

金日成花の対になる金正日花も存在する。

金正日花の話は、金日成の話と対応するものを含むよう十分考えられて作られた。今回はその花は日本からやってきた。加茂元照という植物学者が二十五年をかけて南アメリカのベゴニアから育てたものであった。彼はその花を「親愛なる指導者」の四十六歳の誕生日に、「朝鮮と日本の間の友好と親善」のしるしとして贈った。(同書)

だが、北朝鮮の寒冷な気候で熱帯の花を育てるには特別な施設が必要だった。

もちろん、この大流行は政府から多額の補助金が出された。朝鮮半島は熱帯のランにとってはもっとも適した自然環境とは言えない。一九七九年、平壌の中央植物園は金日成花を栽培するために特別の温室を建設した。当初はその温室の広さは六〇〇平方メートルであったが、一九八〇年代には一五〇〇平方メートルに拡張された。同じような温室が全国で建てられた。(同書)
この花を栽培・普及するために中央植物園の学者や職員からなる特別グループが結成され、千五百平方メートルの現代的な温室が建設され、短期間にこれを増殖、一九九〇年二月ごろにはすでに一万本を越える苗木が省庁や全地方の植物園に贈られた。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』川合渙一訳)

これらの花の栽培には多額の資金を要し、間接的に多くの住民が犠牲になったという。

凍てつく温度になる国では熱帯の花は咲き誇りそうにないのに、経済的困難によって金日成花と金正日花の広がりに影響を及ぼしたことはなかったようだ。事実、金日成花と金正日花を栽培する温室は重要とみなされ、飢饉の最中、エネルギー供給がほぼ完全に崩壊した中でも、温室はお湯と電気が惜しみなく割り当てられた。多数の人々が死んだかもしれないが、インドネシアのランと日本のベゴニアは生き残った。(ランコフ、前掲書)