金正淑の偶像化作業

北朝鮮ではかつて、金日成の第一夫人である金正淑を偶像化する運動があった。

「三大星(サムテソン)」とは「抗日武装闘争時期:三つの明るい星という意味から、英明な金日成将軍様と親愛なる金正日同志、抗日の女性英雄金正淑同志を高く敬い、形象的に指す言葉」(『朝鮮語大辞典』)とあるように、金日成・金正日父子だけでなく、金正淑も含めた金一族を偶像化・神聖化するために新たに作られたものである。
金正淑の偶像化作業は、スローガンの木が発見された一九八七年頃から本格化しており、スローガンの木にはこの「三大星」をはじめ「三大偉人」「三大英傑」「三大名人」「三代将軍」「三大英雄」などの文字が発見されたという。金正淑はスローガンの木では「抗日の女大将」「白頭山の女将軍」「我々の指導者」「女傑」「女神」などと称賛されている。
金正淑の神格化作業は、スローガンの木の贋作だけでなく、生まれ故郷の咸鏡北道・会寧に高さ十五メートルの金正淑像を建てたり、生家を革命史跡に指定し、住民や学生たちに強制参拝させている。(宮塚利雄、宮塚寿美子『驚愕の教科書』)

「スローガンの木」とは、抗日パルチザンの闘士たちが解放前(一九四五年八月十五日以前)に樹皮を剥いで、金日成や金正日、金正淑の業績を讃える言葉を書いたものである。北朝鮮政府はそれら二千五百本の木が突如として「見つかった」と発表したが、実際は人工的に作られたものだった。

金正淑の偶像化が進められたのは、金正日が権力の表舞台に登場したことがきっかけだった。

金正日が唯一の後継者として登場するや、亡き母親、金正淑に対する異常なほどまでの絶対化作業が始まった。まず、一九七四年初め、金正日の直接の指示によって、金正淑に関する回想記を北朝鮮全住民に学習することを強要し、その年四月には、金正淑を主人公とする革命歌劇を創作させて北朝鮮全域で上演することを指示した。最たるものは一九八一年八月十七日の中央人民委員会の決定した政令である。北部の両江道新坡郡を「金正淑郡」に改称するというものだ。(同書)

金正淑の偶像化作業は青少年への教育にも及ぶ。

金正淑の誕生七十周年を祝う「中央祝典会議」が十二月十三日平壌で開かれ、最高指導部のメンバーや革命烈士家族(抗日戦参加者とその遺族)が集まった。当時の参謀総長・呉克烈軍大将が演説し「金正淑同志は流血の抗日戦の困苦の時代に政治・思想的に、また身を挺して革命の司令官(つまり金日成)を断固守り抜き、朝鮮革命の首領の指導を確立した。彼女は革命の一時的分子や裏切者の反革命陰謀を摘発・挫折させ、金日成同志の革命思想にもとづく革命戦士の統一と団結を擁護し、最後まで戦った……文字通り身を楯として敬愛する首領様の健康をしっかりと守った。すべての党員も勤労者も金正淑同志がしめした党と革命に対する無限の忠誠を亀鑑としなければならない」
この記念日に向けて、勤労集団、教育機関、軍部隊で金正淑の功績をたたえる集会や講座がひらかれ、彼女の生活や活動を示した劇映画や記録映画、社会・政治・文学作品の集団読書会、研究会が催され、その事跡にゆかりのある「歴史的革命的栄光」の地を訪れる青年の参拝行が実施され、青年・婦女子の間で「金正淑女子の範に学ぶ」運動が展開された。
その主な内容は「首領様に対する無限の忠誠」を教育することだった。十二月二十三日付「労働新聞」の社説は書いている。「金正淑女子の不滅の功績の最大のものは、彼女が首領様の健康を全面的に保障したことである」「これは首領様への忠誠の伝統の中核である」と。これによると、「首領様に対する金正淑女子の思想的精神的に高度な資質と革命的姿勢は、朝鮮共産主義者の首領様への忠誠の亀鑑」なのである。『労働新聞』は二ページ半にわたって金正淑に関する論文を掲載、社説は「われわれが学ぶべき首領様への忠誠の最も輝かしい亀鑑」と題して、金正淑は「わが人民が数千年の歴史の中ではじめて偉大な首領様に出会い、高く称揚しうることを最高の幸せ、最高の名誉と見なしていた。彼女は首領様を朝鮮の心として革命の太陽、解放者として無限に尊敬し、彼に自己の運命をゆだねていた」(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』川合渙一訳)