端牛

端牛とはどのような祝日か。

一九八九年には、四十年来はじめて当局が許可した、この国最古のお祭りのひとつである端午(タノ)の節句が公に復活した。古来陰暦の五月五日がこの祭日にあたるが、この年は新暦の六月八日に当たった。平壌はこの日あいにくと天候に恵まれず、朝から雨になったが、にもかかわらず、古い城壁が残る牡丹峰の丘は人出でにぎわった。
中世の史書『三国遺事[サムグンニュサ]』にでているが、この祭りは昔は「車の日」と呼ばれていた。ほとんどの民間の祭りがそうであるように、この祭りも偶然の所産ではない。
このころにはまず春の種まきが終わり、夏の草刈りがそろそろはじまろうとしている。それまでの期間に、田植えが無事に終わったことを祝うのがつねだった。
朝鮮半島の農作業は、その歴史が示しているように、陰暦に最もかなっている。昔はこの日、貴人や役人に扇子を贈る習慣があり、家々では魔除けの護符を掲げたものである。
若い娘の間では「クネディギ」と呼ばれるブランコ競争に人気があり、男は国技の「シルム」(角力)に力を競い合った。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』川合渙一訳)

人々はこの日、ブランコや相撲を楽しみ、ご馳走である餅を食べる。

一九八九年の六月八日のこの日、「飛鷺[ピロ]」という名の協同農場では、娘さんたちがブランコを漕いで柳の枝に向かって文字通り舞い上がり、砂の土俵の周りでは贔屓の力士を励ます歓声が渦巻いていた。優勝した力士には古式にのっとって花を飾った雄牛が商品として贈られた。管理棟前の広々とした空き地では「綱引き」や「板跳び競争」(長い板の中央を、丸めたむしろ台にのせ、その両端に人が立ち、交互に飛び跳ねる遊び)が、また子供たちは端午の節句に新たな競技――三輪車競争を加えていた。子供たちには子兎の商品が待っていたが、この国ではウサギを育てて国家にその肉を供出するのが全少年団の義務なのである。この日の一番の御馳走は、車輪[スリ]に似た小型の丸い餅だ。これは若いヨモギをゆでたのと、ねばりけのない米の粉を捏ね上げて作る。(同書)