寒食

古くから国の祝日だった三大名節(寒食、秋夕、端牛)が復活し、市民が公然とこれを祝えるようになった。

陰暦の春の主な祭日の一つがハンシクと呼ばれる冷食の日で(当時から数えて百五日)、豊穣を祈念し、個人を祭る。この日、市民は古習にしたがって墓に参り、両親や肉親の墓を清め、追善の供養をする。一九八七年四月六日は寒食(ハンシク)にあたり、休日になるとのことだった。この日は平壌の各外国代表部に勤める地元職員が出勤しなかったために、ソ連の設備・機械がある工場で働くソ連の専門家も、出勤を拒否することになった。大半の事業所も仕事を休んでいたが、市民は当局の指示により前日の日曜日、四月五日は出勤しなければならなかった。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』川合渙一訳)

寒食の日は革命烈士陵(抗日闘士を埋葬した墓地)や先祖の墓参りに出かける。

大城山の革命烈士陵の墓石には「朝鮮民主主義人民共和国英雄」の金星の浮彫があるが、寒食の日には金日成、金正日、党中央委員会、中央人民委員会、政務院、各部局、社会団体などから花束が供えられた。金正淑の胸像の前には花籠や花束に埋もれ、オアシスの観を呈していた。金正淑と面識があったり、金正淑の「心づかいを受けた」「革命烈士家族」や金正淑の名を冠した教育機関や団体から贈られたものだ。
この日、平壌は早朝から夜遅くまで雨が降り続き、出足に影響はあったが、それでも市民を家に閉じ込めておくことはできなかった。傘を差し、質素な弁当包みを提げ、平壌市民は思い思いに早朝から先祖の墓参りにでかけるのだった。(同書)