秋夕

秋夕とはどのような祝日か。

何世紀の前からの古い習慣で、秋夕[チュソク]の節句は、いっせいにはじまる稲刈りに先立って行なわれる。この日――陰暦の八月十五日――新しい稲束と松餅[ソンペョン]と呼ばれる餅を準備し、米のウォトカ(清酒)と果物を添えて先祖の墓に供え、個人の名を記した墓石や木の柱に立つ土饅頭の前に家族がみんなで集まる。
追善供養の儀式もこのお膳で行われる。昔からの言い伝えにより、この供養に鎮められた個人の魂は天に戻って法悦に浸ることができ、その結果、この世に残された家族たちは、現世の益にあずかることができると信じられている。(アレクサンドル・ジェービン『私が見た金王朝』川合渙一訳)

墓参りは住民にとって負担どころか、首都平壌を観光するまたとない機会であるようだ。

この日は国一番の墓地、大城山の革命烈士陵にも大勢の人が参る。革命烈士のうち、主に金日成のかつての同僚の胸像の礎石には、肉親縁故や彼らの名を冠した事業所や教育機関から届けられた花束が供えられる。墓石だけで墳墓のないものがたくさんあるのは、日本の植民地から解放されるかなり以前に亡くなった人たちの所在が確認されていないからだ。
この日、大城山に詣でる人たちの多くは、先祖の墓が遠くて墓参りに出かけられない人たちである。個人に利用できる車がないのと、鉄道の運行が極めて不安定なことから、隣の市や地方に出かけるだけで数日がかりの大旅行になるからだ。たとえば平壌から清津まで行くのに丸一日。したがって祭日に親せきを訪ねるのも往復に最低三日はかかるが、三大名節の休日は一日しかない。しかもこの一日限りの祭日も、前後の休日に代替出勤しなければならないのだ。一方、金日成や金正淑の記念碑に花を供えるために、当局が地方の代表団を平壌に派遣するときは、はるかに気前よく休日を与えている。
献花をすませた一行の顔に深い悲しみの表情はなく、名誉には違いないにしろ、負担であるばかりか、ふだんは望むべくもない革命の首都をのんびり見物できるまたとないチャンスであるわけだ。なにしろ平壌は特別な移動許可がないかぎり、地方の住民には高嶺の花なのだから。(同書)

人々は秋夕の日に遊戯をして楽しむ。

秋夕は、伝統的な遊戯である女性の目もくらむばかりに高い、「クネ」と呼ばれるブランコに乗る競争と、男性の国技である「角力(シルム)」(すもう)で終わる。これにはむろん、どんな祭日にも欠かせない歌と踊りがつきものである。(同書)